【武家諸法度の語呂合わせ】年号(1615年)の覚え方を紹介!【おすすめ5選】

 

1603年に徳川家康が江戸幕府を開いてから265年間もの間、徳川家が政権を維持しました。

 

長きにわたって幕府が続いたのは、江戸時代初期に作られた様々な制度によるところが大きいといえます。

 

特に1615年に制定された武家諸法度は大名をまとめるうえで欠かせない法律でした。

 

今回はそんな武家諸法度の概要とその覚え方(語呂合わせ)についてご紹介します。

 

武家諸法度とは?

 

 

武家諸法度とは、1615年に徳川幕府二代将軍徳川秀忠によって制定された、大名を束ねるための基本法典のことです。

 

1603年に征夷大将軍となった徳川家康は江戸に幕府を開いたのち、二年後には息子の秀忠に征夷大将軍の職を譲り、徳川家の政権維持を明確にしました。

 

 

そして、自身は大御所として駿府城から様々な政策を秀忠に指示していました。

 

家康は、幕府が藩(諸大名)を支配する幕藩体制づくりを目指しており、そのために1615年、家康の指示のもと秀忠の名で大名を伏見城に集め、大名統制のための基本法である武家諸法度を発布しました。年号から元和令と言われます。

 

 

(二代将軍徳川秀忠 出典:Wikipedia

 

 

元和令は、文武や倹約を奨励する主旨のほかに、大名同士の婚姻を許可制にすることや、城の改修・補強を許可制にすることなどが定められ、大名の力を抑え支配下に置くことを目的とする内容でした。

 

徳川の長い支配体制はこの武家諸法度によって支えられていたといえます。

 

また、この武家諸法度は歴代将軍によって改訂されており、とくに有名なのは三代将軍徳川家光が参勤交代を義務付けた1635年の寛永令とよばれる改訂です。

 

また武家諸法度の最後の改訂は、八代将軍の徳川吉宗によって出された享保令で、その後の改訂は行われていません。

 

【武家諸法度の語呂合わせ】年号(1615年)の覚え方

武家諸法度の語呂合わせ①

武家諸法度披露(16)で非行(15)もできぬ

 

武家諸法度を出されれば、大名は従わざるをえなかったでしょうね

 

武家諸法度の語呂合わせ②

大名の疲労(16)は武家諸法度以降(15)にたまる

 

武家諸法度によって大名はどんどん力を削られました。家康の狙い通りです。

 

武家諸法度の語呂合わせ③

異論(16)一個(15)も出ぬ武家諸法度

 

幕府に物申すなどとてもできなかったことでしょう。

 

武家諸法度の語呂合わせ④

ひい(1)!浪費(61)ごつっ(5)と怒られる武家諸法度

 

大名は質素倹約に励まなければならなくなりました。

 

武家諸法度の語呂合わせ⑤

武家諸法度制定、ヒーロー(16)は徳川御一行(15)

 

武家諸法度で定めた大名支配の頂点には徳川家がいます。

 

 

以上、武家諸法度の語呂合わせでした!

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