明治政府にとって長年の悲願が幕末に欧米諸国と結んだ不平等条約の「条約改正」でした。
今回はついに悲願達成となった治外法権の撤廃について、その概要や年号の覚え方(語呂合わせ)をご紹介します。
目次
治外法権の撤廃とは?
(陸奥宗光 出典:Wikipedia)
治外法権の撤廃とは、1894年(明治27年)に外務大臣・陸奥宗光がイギリスとの間に調印した条約により廃止された不平等条約の一項を指します。
本題に入る前に治外法権の撤廃とよく併記されている「領事裁判権」という言葉について説明をしておきます。
治外法権とは外国人に対して日本の司法権・立法権・行政権が適用されないことを意味し、領事裁判権とはそのうちの司法権に当たります。
治外法権の中のひとつが領事裁判権である、と理解しておくといいでしょう。
ところで1886年、日本がイギリスとの条約を結ぶきっかけとなる事件が和歌山県沖で起こりました。
それが「ノルマントン号事件」です。
イギリスの貨物船ノルマントン号が沈没した際に日本人の乗客を救助しなかったというもので、イギリス人の船長は日本で起きた事故なのにイギリスの法律で裁かれました。(領事裁判が行われたということ)
この事件を契機に治外法権への国民の不満が高まり、ついに1894年外務大臣・陸奥宗光がイギリスとの間に「日英通商航海条約」を調印。
これにより治外法権の撤廃(領事裁判権の完全撤廃)と関税自主権の一部が回復されました。
▼ちなみに関税自主権の完全回復は16年後です
【治外法権撤廃の語呂合わせ】年号(1894年)の覚え方!
【治外法権撤廃の語呂合わせ①】
いや(18)苦心(94)が続いた治外法権
外国人に治外法権を認めていた時代、いちばんつらかったのは庶民だったでしょうね。
【治外法権撤廃の語呂合わせ②】
ひとつ(1)白紙(894)に戻そう治外法権
治外法権の撤廃は幕末から続いた明治政府の悲願でした。
【治外法権撤廃の語呂合わせ③】
いや(18)休止(94)ではなく廃止した治外法権
外務大臣・陸奥宗光の断固たる交渉で治外法権は撤廃されました。
以上、治外法権撤廃の語呂合わせでした!