戦国時代というと戦国大名たちの激しい戦いばかりがクローズアップされがちですが、もう一つ忘れてはならないのが南蛮文化との出会いです。
この頃の世界(ヨーロッパ)は大航海時代の只中にあり日本も南蛮文化に影響されていくことになります。
今回は南蛮文化の中から「キリスト教伝来の概要・年号の覚え方(語呂合わせ)」をご紹介します。
目次
キリスト教伝来とは?
(フランシスコ・ザビエル 出典:Wikipedia)
キリスト教伝来とは1549年(天文18年)、イエズス会所属のスペイン人フランシスコ=ザビエルがキリスト教布教のために来日、初めて日本にキリスト教が伝わったことをいいます。
ザビエルはインドのゴアから中国への布教の途中フィリピンで日本人の青年に会います。
その青年の案内で1549年に鹿児島に上陸、以後離日する1551年までの間に山口や大分を中心に布教活動をしました。
◆イエズス会の布教活動
イエズス会(耶蘇会・やそかい)とは純潔・清貧・服従を誓う厳格なカトリック教の一団体のことです。
当時のイエズス会は宗教革命の影響でプロテスト派におされ、勢力が弱まっていたこともあり海外での布教活動(特にアフリカやアジア)に活路を見出そうとしていました。
ザビエルの来日以降、多くの宣教師がイエズス会から派遣されてくるようになりキリスト教だけではなく、南蛮文化(学問・芸術・技術など)が日本全国に広がります。
また、社会事業や医療活動といった慈善活動にも熱心に取り組んだために日本人の間でキリスト教信者が広がりました。
◆キリシタンの広がり
各地には南蛮寺と呼ばれる教会堂やコレジオ(宣教師養成学校)、セミナリオ(神学校)も建てられキリスト教は人々の間に浸透していきます。
キリスト教(天主教・てんしゅきょう)の宣教師と信者のことを日本ではキリシタンと呼びましたが、キリシタンの数は宣教師の布教や織田信長のキリスト教保護により西日本を中心に全国で数十万人にも及んだとされています。
また大名の中には南蛮貿易で得られる利益を目論んでキリスト教を保護し自らも洗礼を受ける「キリシタン大名」も現れました。
キリシタン大名の中でも有名なのは大村純忠、大友義鎮(宗麟)、有馬晴信、高山右近です。
1582年には宣教師ヴァリニャーニの勧めで大村純忠、大友義鎮(宗麟)、有馬晴信はローマ教皇のもとに4人の少年使節を派遣しました。(天正遣欧使節)
(天正遣欧使節 出典:Wikipedia)
【キリスト教伝来の語呂合わせ】年号(1549年)の覚え方!
キリスト教伝来の語呂合わせ①
以後(15)よく(49)広まるキリスト教
キリスト教だけではなく優れた学問や技術、芸術も広まりました。
キリスト教伝来の語呂合わせ②
キリスト教で非行(15)おとなしく(49)なる
神様の言葉で心が落ち着きますように。
キリスト教伝来の語呂合わせ③
イエズス会御一行(15)よく(49)来日して布教
ザビエルが来日してから江戸時代に鎖国政策がとられるまでの間、宣教師たちは日本での布教に努めました。
キリスト教伝来の語呂合わせ④
イエズス会の意向(15)よく(49)伝えたザビエル
なんとしても日本にキリスト教を根付かせたい、カトリック教会の勢力を強めたい、という願いがあったことでしょう。
キリスト教伝来の語呂合わせ⑤
ザビエルが来日以後(15)は日本も支区(49)に
「イエズス会日本支区初代支区長フランシスコ=ザビエル」当時もし名刺があればこのような肩書だったでしょうか?
以上、キリスト教伝来の語呂合わせでした!