
いつの時代も貿易に関するいざこざは後を絶ちません。
現に今もアメリカと中国の間では貿易が火種になっていますし、そのことが世界経済に影響を及ぼしています。
長い鎖国を解いて外国に門戸を開いたばかりの江戸幕府も諸外国と貿易をめぐる攻防を繰り広げていました。
今回は自国の経済を守るために幕府が出した「五品江戸廻送令の概要・五品の覚え方(語呂合わせ)」についてご紹介していきます。
目次
五品江戸廻送令とは?
五品江戸廻送令(ごひんえどかいそうれい)とは、1860年に江戸幕府が初めて出した貿易統制令のことです。
具体的には外国への輸出品目のうち「雑穀」「水油」「蝋(ロウ)」「呉服」「生糸」の五品は必ず江戸の問屋を経由することとしました。
◆五品江戸廻送令が出された背景
1858年の日米修好通商条約により開港をして以来、それまでのように江戸の問屋を経由するよりも直接開港地に品物を持ち込んで売る商人が増えました。
江戸の問屋を通すよりも言い値で買い取ってくれる外国人と直接交渉をした方が何倍もの利益になったからです。
その結果、江戸に商品が入ってこなくなり江戸は慢性的な品不足となりました。
このような品不足は価格の高騰を招き江戸庶民の生活はみるみるうちに困窮していきました。
こうした現状から幕府は問屋の保護と庶民の生活の安定、さらには外国への輸出品の統制を目的に1860年「五品江戸廻送令」を出します。
◆法令のその後
なぜ雑穀・水油・蝋(ロウ)・呉服・生糸の五品にしたかというとこれらの商品が当時の生活必需品だったためです。
しかしながら、「五品江戸廻送令」が出された後も産地から開港地へ商品を直接持ち込む商人は後を絶ちませんでした。
たとえ「五品江戸廻送令」に違反しても罰則がなかったことに加え、それらの商人から買いつけをしていた外国人からの強い圧力もあったからです。
日米修好通商条約では自由貿易を認めていたので外国からの圧力に対して幕府の立場は弱かったのです。
そして1864年には江戸問屋の買取り制度が廃止され「五品江戸廻送令」は有名無実化しました。
【五品江戸廻送令の覚え方】簡単!五品&年号の語呂合わせ
五品江戸廻送令の語呂合わせ(年号)①
市場(18)の無縁(60)を救えなかった五品江戸廻送令
残念ながら五品江戸廻送令は実効性のない政策でした。
五品江戸廻送令の語呂合わせ(年号)②
五品江戸廻送令はイヤ(18)群(60)はみな横浜へ
五品江戸廻送令が出されても商品の売買は横浜で行われました。
五品江戸廻送令の語呂合わせ(年号)③
人、張るを(1860)我慢し五品買う
江戸では五品の値が上がりましたが高い(値が張る)からといって買わないわけにもいかないのが生活必需品ですからねぇ、つらい。
五品江戸廻送令の語呂合わせ(五品)④
雑炊(雑穀・水油)は老後(蝋・呉服)にいいと(生糸)いう誤解(五品江戸廻送令)
長寿の秘訣は高齢になるほど肉を食べること、ともいわれていますが。
五品江戸廻送令の語呂合わせ(五品)⑤
That's me (雑穀・水油)を聞いた牢獄(蝋・呉服)ナイト(生糸)
「That's me」とはABBA(本来最初のBは反転)の名曲です。
以上、五品江戸廻送令の語呂合わせでした!