日露戦争での日本の勝利は世界中に大きな衝撃をもたらしました。
そしてこの勝利こそが日本の近隣諸国、特に東アジアへの勢力拡大路線の始まりであったとも言われています。
その流れの中ついに日本は韓国を併合します。
今回はこの韓国併合の覚え方(語呂合わせ)についてご紹介します。
その前にまずは、韓国併合とはどのような出来事だったのかおさらいしていきましょう!
目次
韓国併合とは?
(大韓全図 出典:Wikipedia)
韓国併合とは、1910年(明治43年)大日本帝国が大韓帝国を支配下に置いた出来事のことを言います。
日露戦争の前後、日本は韓国との間に次々と日本に有利な条約を結んでいきます。
1904年には日本軍の行動の自由を認めた「日韓議定書」と日本政府推薦の財政・外交顧問を韓国政府に置くことを定めた「第一次日韓協約」を、1905年には韓国の外交権は日本政府にあるという「第二次日韓協約」を、1907年には韓国の内政権を得て韓国軍を解散させる「第三次日韓協約」を、といった具合です。
第二次日韓協約時には韓国の首都・漢城に朝鮮統監府が置かれ初代統監には伊藤博文が就きました。
(韓国総統府に向かう伊藤博文 出典:Wikipedia)
こうした流れの中で解散させられた韓国軍の兵士や農民たちが各地で日本軍と戦う義兵運動が起こります。
また1909年には韓国の独立運動家・安重根(あんじゅうこん)により初代韓国統監・伊藤博文が暗殺される事件が起きました。しかしこの暗殺事件が日本の姿勢をより強硬にさせたとも言われています。
ついに1910年日韓併合条約が交わされ韓国は日本の領土の一部となりました。
併合条約は韓国にどのような影響があったのでしょうか?
まずはおよそ500年間続いていた李氏朝鮮の支配が終わり、1897年から使っていた大韓帝国という名前もなくなりました。
また、併合によって大韓帝国という国号は使えなくなり、以降は日本の一地方として朝鮮という名称を使うことになりました。これにともない朝鮮統監府は朝鮮総督府に、首都の名前は漢城から京城に、それぞれ変わりました。
併合後には土地調査・教育改革・身分開放などが次々と行われましたが、同化政策による日本語の強要や後の創氏改名などは人々の中に深い禍根を残すことになりました。
【韓国併合の覚え方】年号(1910年)の語呂合わせ
韓国併合の語呂合わせ①
韓国併合いくと(1910)決めた桂首相
韓国併合時の首相は桂太郎です。伊藤博文と間違えやすいですが伊藤博文は初代の韓国統監府統監であり併合前に暗殺されています。
韓国併合の語呂合わせ②
行く(19)には近いが心は遠(10)い韓国併合
今も昔も韓国は日本にとって近くて遠い国、という印象がありますね。
韓国併合の語呂合わせ③
併合で一句(19)言おう(10)
日本語を覚えさせられた韓国の人々、俳句や短歌も学んだでしょうか?
韓国併合の語呂合わせ④
多くの人(1)が悔いを(910)感じた韓国併合
現在の日韓関係を考えると韓国併合がもたらした影響は否めません。
韓国併合の語呂合わせ⑤
行く(19)を問う(10)列強諸国
韓国併合は欧米の列強諸国、中でもアメリカが日本に警戒心を強めていく転機になり日本人移民排斥運動などが盛んになっていきました。
以上、韓国併合の語呂合わせでした!