東京の上野動物園には日本ではなかなか見られない動物であるパンダがいます。
そのきっかけとなったのは日中共同声明です。
パンダのランランとカンカンは日中共同声明の際に中国から日本へ友好の証として贈られたものです。
今回はそんな1972年(昭和47年)に出された日中共同声明の概要・調印年号の覚え方(語呂合わせ)についてご紹介していきます。
目次
日中共同声明とは?
(田中角栄 出典:Wikipedia)
日中共同声明とは、1972年(昭和47年)に日本の田中角栄首相が中国を訪問し、日本側の過去の戦争責任を反省したうえで、日本と中国の間で国交正常化を行うことを発表した声明になります。
その際に、友好の証として中国から日本へ希少な動物であるパンダが贈られました。
第二次政界大戦後、日本はGHQの占領下にありましたが、1951年のサンフランシスコ平和条約によって独立し、多くの西側諸国と国交を回復させました。
しかし、冷戦下、共産主義をとる中国はサンフランシスコ講和会議に招かれず、日本と中国は長らく国交がありませんでした。
その後、中国は次第に同じ共産主義であるソ連と対立するようになり、日本やアメリカと接近するようになりました。
そしてそのタイミングを中国との国交正常化のチャンスだととった田中角栄首相は、中国の国務院総理である周恩来の招待を受け、訪中しました。
(周恩来 出典:Wikipedia)
そして1972年、日中共同声明によって両国の国交正常化の意向を表明しました。
これに基づき、1978年には、福田武夫首相によって日中平和友好条約も結ばれることとなりました。
なお日中共同声明によって、日本は台湾を中国の一部として認め、台湾とは断交することとなりましたが、その後も経済関係は維持することで現在まで関係が続いています。
【日中共同声明の語呂合わせ】年号(1972年)の覚え方!
日中共同声明の語呂合わせ①
中国に行く(19)!何(72)しに?共同声明!
まさに田中角栄首相の周辺はこんな慌ただしさだったのではないでしょうか。
日中共同声明の語呂合わせ②
引く(19)な(7)~、二(2)人で日中共同声明
台湾の気持ちはこんな感じでしょう。
日中共同声明の語呂合わせ③
ひい(1)、苦難(97)に(2)負けず日中共同声明
中国との交渉は決して楽ではなかったでしょう。
日中共同声明の語呂合わせ④
台湾一区(19)何(72)が何だか、日中共同声明
台湾はこの声明に困惑を隠しきれなかったのではないでしょうか。
日中共同声明の語呂合わせ⑤
日中共同声明出しに行く(19)!何時(72)に?
政治記者は田中首相の動きに振り回されっぱなしだったようです。
以上、日中共同声明の調印年号の語呂合わせでした!