沖縄には今現在も在日米軍基地が集中し、かつてのアメリカによる施政の影響が大きく残っています。
第二次世界大戦後、サンフランシスコ平和条約にて日本の多くの場所が主権を得るなか、長らくアメリカの施政下におかれた沖縄の人々にとって祖国復帰は悲願でした。
今回はそんな1972年の沖縄返還の概要・返還年号の覚え方(語呂合わせ)についてご紹介します。
目次
沖縄返還とは?
(佐藤栄作首相とニクソン大統領 出典:Wikipedia)
沖縄返還とは、1972年(昭和47年)にアメリカがそれまで持っていた沖縄の施政権を日本へ返還した出来事のことです。前年の1971年にワシントンと東京にて結ばれた沖縄返還協定に基づき実行されました。
第二次世界大戦後、GHQによって日本は占領政策が行われていましたが、当時の冷戦状況などによって1951年のサンフランシスコ平和条約にて日本は主権を回復しました。
しかし、沖縄や小笠原諸島は米軍基地が多くあり、冷戦などへの対応を考慮して日本に返還されず引き続きアメリカの施政下に置かれることとなりました。
しかし1960年代には多くの米軍基地を抱えアメリカの施政下におかれた沖縄の人々の間で祖国復帰運動が盛んに行われるようになりました。
(1954年の日本復帰署名運動 出典:Wikipedia)
そして1967年に佐藤栄作首相とジョンソン米大統領の間で沖縄の3年以内の返還について合意しました。
先んじて1968年には小笠原諸島の返還が実現し、ますます沖縄返還への機運が高まりました。
そして1969年、日米共同声明を発表し、1971年には沖縄返還協定を結び、1972年に沖縄返還が実現しました。
しかし、沖縄が日本へ返還された後も日米安全保障条約は堅持され、沖縄には多くの米軍基地が残されることとなり、沖縄の負担は軽減されませんでした。
この基地問題は現在でも解決に至っていません。
【沖縄返還の語呂合わせ】年号(1972年)の覚え方!
沖縄返還の語呂合わせ①
行く(19)ぞ!何(72)?返還された沖縄へ
返還前は沖縄から日本本土へ渡航する際は渡航証明書が必要とされていました。
沖縄返還の語呂合わせ②
沖縄返還で一句(19)夏(72)のこと
1972年の5月という初夏に実現した祖国復帰は沖縄の人々にとってとても大切な出来事だったでしょう。
沖縄返還の語呂合わせ③
ひい(1)、苦難(97)に(2)打ち勝ち沖縄返還
沖縄の人々の祖国復帰運動が沖縄返還実現の大きな力になったことは間違いありません。
沖縄返還の語呂合わせ④
沖縄一区(19)を返還、何時(72)から?
いつから返還なのか、みんな期待してそわそわしていたのではないでしょうか。
沖縄返還の語呂合わせ⑤
沖縄返還で、一球(19)夏(72)に投げたい
沖縄返還前の1958年に沖縄代表が初めて甲子園に出場しましたが、その時は甲子園の土を沖縄に持ち込めず、悔しい思いをしたそうです。
以上、沖縄返還の語呂合わせでした!