【日露戦争の語呂合わせ】年号(1904年)の覚え方を紹介!【おすすめ8選】

 

日本では、1894年の日清戦争の勝利で得た遼東半島を三国干渉で返却させたロシアに対して敵対の世論が高まり、朝鮮半島や満州の権益をめぐって激しく対立してきました。

 

そしてついに1904年に20世紀最初の帝国主義戦争となる日露戦争を起こしました。

 

今回はそんな日露戦争の覚え方についてご紹介します。

 

その前にまず、日露戦争とはどのようなものだったのかおさらいしていきましょう!

 

日露戦争とは?

(朝鮮半島を進軍する日本軍 出典:Wikipedia

 

 

日露戦争とは、1904年(明治37年)から1905年(明治38年)に起こった満州、朝鮮半島をめぐる日本とロシアの戦争のことです。

 

1894年の日清戦争で得た遼東半島を1895年の三国干渉によって返還させられた日本国内では「臥薪嘗胆」を合言葉にロシアへの敵意が高まっていました。

 

その後、日本と同じく、南下政策を推し進め、満州の植民地化を既定事実化しようとするロシアに対して危機感を抱いていたイギリスと、日本は1902年に日英同盟を結びました。

 

さらに南下を推し進めるロシアに対して、世論は開戦一色となり、ついに1904年2月日本の仁川港・旅順港奇襲攻撃によって開戦となりました。欧米各国のロシア有利の見方をよそに、日本は勝利を重ねていきました。

 

 

(仁川沖海戦で炎上するロシア艦 出典:Wikipedia)

 

 

日本海海戦によって日本に制海権を奪われたロシアは和平に動き出しました。日本も勝利を重ねてはいましたが、莫大な戦費がかかっていたことから、国力が消耗していたので、講和に応じることとなりました。

 

仲介国アメリカのポーツマスで日本側の全権は小村寿太郎、ロシア側の全権はウィッテでポーツマス条約(日露講和条約)は結ばれました。

 

内容はロシアが日本の韓国への指導権を認め、旅順・大連の租借権とロシアの経営する大清鉄道の長春以南と付属利権を譲渡し、樺太の南半分を割譲し、カムチャッカ半島の漁業権を認めるという日本に有利なものでした。

 

しかし、高額な戦費で疲弊していた日本では、賠償金をとれなかったことで、民衆の不満が高まる結果となりました。

 

【日露戦争の語呂合わせ】年号(1904年)の覚え方

日露戦争の語呂合わせ①

ロシアを倒しに行く(19)わよ~(04)

 

世論は打倒ロシアで盛り上がっていたそうです。

 

日露戦争の語呂合わせ②

与謝野晶子も一句(19)を(0)詠ん(4)だ日露戦争

 

与謝野晶子の日露戦争で従軍していた弟を嘆いた反戦の歌「君死にたまふこと勿れ」はあまりにも有名です。

 

日露戦争の語呂合わせ③

行く(19)ぜ!押し(04)てくるロシアと日露戦争

 

南下政策で朝鮮半島へ押してくるロシアとの戦争は避けられないものだったのかもしれません。

 

日露戦争の語呂合わせ④

ピアノ弾く(19)ひまゼロ(0)よ(4)、日露戦争

 

日露戦争は総力戦であったため、人々の生活にも様々な影響があったようです。

 

日露戦争の語呂合わせ⑤

露に勝って一級(19)国として推し(04)ていく

 

実際、日露戦争勝利は、欧米各国の日本への見方を大きく変化させましたね。

 

日露戦争の語呂合わせ⑥

日露戦争に行く(19)のは(0)死にに(4)行く

 

日露戦争の語呂合わせ⑦

ひ(1)どく苦労(90)し(4)た日露戦争

 

日露戦争の語呂合わせ⑧

いくら(19)押し(04)ても動かぬロシア 

 

 

以上、日露戦争の語呂合わせでした!

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