譜代大名の中でも最重鎮の家柄出身の大老井伊直弼が江戸城登城中に暗殺されるという信じがたい出来事は桜田門外の変と呼ばれました。
この事件は、当時世間を驚かせ、江戸幕府の求心力低下を招く大きな要因の一つとなりました。
今回はそんな1860年に起こった桜田門外の変の概要・年号の覚え方についてご紹介していきます。
目次
桜田門外の変とは?
(桜田門外の変 出典:Wikipedia)
桜田門外の変とは、1860年に江戸幕府大老の井伊直弼が尊攘派の志士に急襲され暗殺された事件のことです。
1858年に江戸幕府の大老に就任した井伊直弼は、13代将軍の家定の将軍継嗣問題で、徳川慶喜を推す一橋派を退け、南紀派として徳川慶福(家茂)を14代将軍としました。
また同年に、直弼自身は無勅許の調印には反対でしたが、結果的に勅許を得ないままの日米修好通商条約締結を許可することとなりました。
そして、直弼の専制に反対する親藩や外様大名、志士などを次々と処分。一橋派の諸侯も謹慎処分となり、吉田松陰や橋本左内などの有力な人物なども処刑されました。
これによって、直弼は多方面から多くの恨みを買うことになりました。
そして1860年、元水戸藩士や薩摩藩士などの尊攘派志士数十名が、江戸城桜田門へ登城中の大老井伊直弼の駕篭を急襲し、暗殺しました。
(井伊直弼 出典:Wikipedia)
幕府の最重鎮で絶大な権力を振るっていた直弼が江戸城で暗殺されたこの事件を機に、江戸幕府の権威を大いに失墜することになります。
そして、その後の尊王攘夷運動をより活発なものにし、幕府の弱体化を招く結果となりました。
【桜田門外の変の語呂合わせ】年号(1860年)の覚え方!
【桜田門外の変の語呂合わせ①】
いや(18)~、無礼(60)だ、桜田門外の変
幕府の大老を暗殺とは無礼どころじゃない事件ですね。
【桜田門外の変の語呂合わせ②】
桜田門外の変でイヤ(18)!老齢(60)になれず
井伊直弼の享年は46なので、決して老齢とはいえませんね。
【桜田門外の変の語呂合わせ③】
桜田門外の変で直弼一派(18)ロマン(60)なし
桜田門外の変で、直弼が亡くなったことにより、直弼一派は出世するというロマンを無くしたことでしょう。
【桜田門外の変の語呂合わせ④】
桜田門外の変でひい(1)!春(86)は(0)来ない
桜田門外の変は3月3日に起こりました。春はもうすぐそこまできていたのに。
【桜田門外の変の語呂合わせ⑤】
ひとつ(1)やろう(86)ぜ(0)!桜田門外の変
大老を暗殺しようという尊攘派志士の気合は、すごいものだったでしょうね。
以上、桜田門外の変の語呂合わせでした!