【サンフランシスコ平和条約の語呂合わせ】年号(1951年)の覚え方を紹介!【おすすめ5選】

 

第二次世界大戦後にGHQの占領下にあった日本が主権を回復したのは、1951年のサンフランシスコ平和条約締結によってです。

 

しかし主権は回復しても領土は限定され、一部の国とは講和条約を結べないなど、現代にまで続く様々な問題も含んでいました。

 

今回はこの1951年に結ばれた「サンフランシスコ平和条約の概要・締結年号の覚え方(語呂合わせ)」についてご紹介します。

 

サンフランシスコ平和条約とは?

(条約に署名する吉田茂 出典:Wikipedia

 

 

サンフランシスコ平和条約とは、1951年(昭和26年)にサンフランシスコにて行われた対日講和会議のなかで結ばれた49カ国の連合国と日本の講和条約のことです。

 

吉田茂が首席全権となりました。

 

この条約にて日本は主権を回復しましたが、一方で沖縄や小笠原諸島などは引き続きアメリカの占領下に置かれることとなりました。

 

第二次世界大戦後、日本はGHQの占領下におかれました。GHQはポツダム宣言に基づき日本の非軍事化や民主化を推進しました。

 

一方で世界の情勢は資本主義で西側陣営であるアメリカと共産主義で東側陣営であるソ連の対立が深まり、冷戦の状態になっていきました。

 

その情勢のなかで、アメリカは日本を中国やソ連などの共産主義国の防壁とすべく、占領政策を転換させ、日本の経済的自立や再軍備を目指す方針としました。

 

1950年には朝鮮戦争も起こり、東西の対立は激しさを増しました。

 

 

(朝鮮戦争 出典:Wikipedia)

 

 

そして朝鮮戦争の翌年である1951年に日本に講和条約を結ばせることで日本の主権の回復を認めました。

 

しかし、このサンフランシスコ講和会議に中国は招かれず、ソ連も調印を拒否するなど東側陣営の国とは講和条約を結べませんでした。

 

また同年に日米安全保障条約も締結され、日本はアメリカと同盟関係となり、沖縄や小笠原諸島には引き続き米軍が駐留し、アメリカにより占領が続くこととなりました。

 

【サンフランシスコ平和条約の語呂合わせ】年号(1951年)の覚え方!

サンフランシスコ平和条約の語呂合わせ①

サンフランシスコに行く(19)ぞ!来い(51)!

 

独立したい日本と西側に引き込みたいアメリカ両国の思惑が一致したのでしょうね。

 

サンフランシスコ平和条約の語呂合わせ②

サンフランシスコでひい(1)!苦言(95)言(1)うソ連

 

調印しなかったソ連には相当嫌味を言われたかもしれませんね。

 

サンフランシスコ平和条約の語呂合わせ③

サンフランシスコ平和条約で一級(19)コンビ(51)だ

 

ここから日米のコンビの仲は続いていくこととなりました。

 

サンフランシスコ平和条約の語呂合わせ④

サンフランシスコで一句(19)合意(51)、万歳!

 

日本にとっては様々な問題があっても主権の回復は嬉しかったでしょう。

 

サンフランシスコ平和条約の語呂合わせ⑤

引く(19)ほど強引(51)なサンフランシスコ平和条約

 

東側と講和条約を結べないとは強引と言われても仕方なかったかもしれません。

 

 

以上、サンフランシスコ平和条約の語呂合わせでした!

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