
日露戦争での日本の勝利はアジア諸国での近代化や独立運動の気運を大いに高めました。
中でも日本と関わりが深いのは1911年に清国で起きた辛亥(しんがい)革命です。
今回はそんな『辛亥革命の覚え方(語呂合わせ)』を紹介します。
その前にまずは、辛亥革命がどのような出来事だったのかおさらいしておきましょう!
目次
辛亥革命とは?
(辛亥革命さなかの南京路 出典:Wikipedia)
辛亥革命とは、300年余り続いた清王朝を倒し中華民国を成立させた革命のことです。
なぜ清王朝は倒されなければならなかったのでしょうか?まずは辛亥革命に至るまでの背景を見てみましょう。
1800年代後半、迫りくる列強に対抗するため清国では政治体制はそのままに優れた技術のみを取り入れようとする洋務運動が盛んに行われていました。
しかし日清戦争の敗北後はやはり政治体制そのものを変えなくてはならないという動き(変法運動)が政府内に芽生えます。
ところが光緒帝を中心とした変法運動は西太后を中心とした保守派につぶされてしまいました。
すると1900年、「扶清滅洋」を唱えた義和団が挙兵するという義和団事件が起こります。
西太后はこの義和団事件に乗じて列強諸国へ宣戦布告をしましたが、逆に列強8か国の連合軍に北京を占領されてしまいました。
一向に改革が進まないばかりか外国の半植民地化している状況、民間鉄道の国有化でさえ外国からの資金援助で行おうとする政府、ついに民衆は政府に見切りをつけやがて清王朝を倒すべく辛亥革命へと進んでいくのでした。
それでは辛亥革命とはどのようなものだったのでしょうか?
1911年、武昌で清朝打倒を目指した軍隊が蜂起し暴動へと発展していきます。
(武昌起義での革命軍 出典:Wikipedia)
この時革命の主導者的立場にあったのが孫文です。
孫文は三民主義(民族・民生・民権の尊重)を唱え新しい国家の樹立を目指しました。
1912年1月ついに南京で臨時政府である中華民国が成立、孫文は臨時の中華民国大総統に就きました。
しかしそれから2か月後の3月、正式な初代大総統には孫文ではなく華北の軍閥であった袁世凱が就きました。
革命当時の袁世凱は清朝の実力者でしたが革命側に加担して残存勢力を鎮圧、皇帝を退位させる代わりに自分を大総統にするよう取引をしたとされています。
*ちなみに辛亥革命時の日本は満州での権益保持などのため旧政府(清王朝)を支援していました。
こうして辛亥革命により300年余り続いた清王朝が滅亡し新しい国・中華民国が生まれたのでした。
【辛亥革命の覚え方】年号(1911年)の語呂合わせ
辛亥革命の語呂合わせ①
琴を弾く(19)日々(11)が懐かしい辛亥革命
清朝を追われた皇帝の心情を想像してみました。
辛亥革命の語呂合わせ②
一句(19)を遺品(11)として残し辛亥革命
自分の命を投じても国を変えようとした人々が辛亥革命を成功させました。
辛亥革命の語呂合わせ③
紫禁城から引く(19)美品(11)の数々
辛亥革命後、多くの国宝級美術品が紫禁城から海外へ流出したとされています。
辛亥革命の語呂合わせ④
打倒清朝に行く(19)人々(11)
辛亥革命は軍隊が蜂起して始まりましたが民衆の大賛同を受け全土に広がりました。それほど政府への不満や憤りがたまっていたのですね。
辛亥革命の語呂合わせ⑤
孫文がひく(19)い声で人々(11)に説いた三民主義
本当の孫文さんの声の高さは不明ですが、三民主義が人々の心を動かし革命が進んだことは間違いありません。
辛亥革命の語呂合わせ⑥
得意(191)な一撃(1)、辛亥革命
辛亥革命の語呂合わせ⑦
ひくひく(19)、わんわん(11)、辛亥革命
辛亥革命の語呂合わせ⑧
低い(191)位置(1)を高める、辛亥革命
以上、辛亥革命の語呂合わせでした!