奈良時代は鎮護国家思想のもとで大いに国家仏教が栄えた時代でもありました。
今回は国家仏教を代表する「南都七大寺の概要・年号の覚え方(語呂合わせ)」についてご紹介します。
目次
南都七大寺とは?
(南都七大寺の一つ「法隆寺」 出典:Wikipedia)
南都七大寺(なんとしちだいじ)とは、南都(奈良)の平城京とその周辺にある7つの官大寺のことです。
官寺とは国家が伽藍造営・維持・管理までを行う寺を指し、その中でも特に格の高い寺を「官大寺」と呼びました。
南都七大寺は鎮護国家思想を実践する場でもありこの七大寺を基盤に南都六宗が発展していきました。
◆南都七大寺
それでは七つの官大寺を見ていきましょう。
① 大安寺(だいあんじ)
舒明天皇が創建した百済大寺が起源とされる
百済大寺→高市大寺→大官大寺→大安寺と改称
② 薬師寺(やくしじ)
天武天皇が皇后の病気平癒祈願のために創建
藤原京から平城京に移転 法相宗の総本山
③ 法隆寺(ほうりゅうじ)
7世紀初め大和の国斑鳩に聖徳太子が建立
「斑鳩寺(いかるがでら)」とも呼ぶ
④ 元興寺(がんごうじ)
飛鳥寺を移したもの
⑤ 興福寺(こうふくじ)
藤原鎌足の私寺・山階寺(やまなしでら)が前身
藤原不比等が奈良に移して以後は藤原氏の氏寺となる
⑥ 東大寺(とうだいじ)
「総国分寺」とも呼ぶ 聖武天皇が建立 華厳宗の大本山
広大な荘園を所有したことでも有名
⑦ 西大寺(さいだいじ)
称徳天皇が創建 真言律宗の総本山
*創建は初めて建てること、建立はすでにある寺院に新たなお堂や塔を建てること
◆七大寺にまつわるおはなし
879年清和上皇が大和の国の名山巡礼に出かけました。
それをきっかけに貴族たちの間で南都七大寺への巡拝が流行したといわれています。
また南都七大寺だけではなく藤原氏と関係が深かった法華寺や唐招提寺も巡拝コースに加わっていたそうです。
【南都七大寺の語呂合わせ】簡単!七大寺の覚え方を紹介
南都七大寺の語呂合わせ①
東大(東大寺・大安寺)が(元興寺)や(薬師寺)はり最高峰(西大寺・興福寺・法隆寺)
南都七大寺をこの順番で巡拝したら東大に入れるかも?
南都七大寺の語呂合わせ②
夜行(薬師寺・興福寺)バスで東西(東大寺・西大寺)の方言(法隆寺・元興寺)を聞いて大安心(大安寺)
耳慣れない方言でもどこか懐かしくて不思議と心が落ち着くものです。
南都七大寺の語呂合わせ③
東西(東大寺・西大寺)の大砲(大安寺・法隆寺)原稿を(元興寺・興福寺)を焼く(薬師寺)
長い歴史の中で南都七大寺もたびたび戦火や火災に見舞われてきました。
以上、南都七大寺の語呂合わせでした!