1920年代の後半になると日本はそれまで協調外交を行っていた中国に対して強硬外交へと大きく転換していきます。
今回はそんな大きな転換点ともいえる柳条湖事件の概要・年号の覚え方(語呂合わせ)についてご紹介します。
目次
柳条湖事件とは?
(事件直後の柳条湖の爆破現場 出典:Wikipedia)
柳条湖事件(りゅうじょうこじけん)とは、1931年(昭和6年)に関東軍が奉天(今の藩陽)郊外の柳条湖で起こした南満州鉄道の爆破事件のことです。
この頃の日本国内では「満州は日本の生命線」というスローガンが掲げられているほど中国での権益が重要視されていました。
一方の中国国内では急速に抗日運動が進んでおり1926年頃から中国国民革命軍の北伐とそれにともなう関東軍との武力衝突が各地で起こっていました。
当時の関東軍は満州を中国から独立させて日本の植民地にしようと主張していましたが、政府内には反対意見もあり両者の溝は深まっていました。
こうした背景のもとついに関東軍は実力行使にでます。
1931年9月、奉天の南満州鉄道を爆破したのです。
そしてこの爆破は中国軍によるものだとして直ちに奉天を占領、翌日には南満州鉄道の沿線地域のほとんどを占領下に置いてしまいました。
柳条湖事件から始まるこの一連を「満州事変」といい、これをきっかけに満州国の建国、日中戦争、と日中関係は泥沼化していくことになり国際社会からも日本は孤立していきます。
ところで一連の事件が起きた時の日本政府の対応はどのようなものだったのでしょうか?
この時の政府は「事変の不拡大」を内外に向けて宣言し事態の鎮静化を図ろうとしました。
しかし、関東軍は政府の対応を完全に無視し軍事行動を拡大させていきます。
また多くの新聞社も関東軍を支持する論調の記事を掲載、国民の間でも関東軍の行動はむしろ喜ばしいこととして受け止められていたのです。
こうして、1931年の柳条湖事件をきっかけに始まった満州事変から日本は戦争へと突き進んでいくこととなりました。
【柳条湖事件の語呂合わせ】年号(1931年)の覚え方!
柳条湖事件の語呂合わせ①
関東軍の独裁(1931)で柳条湖事件
関東軍の自作自演だった柳条湖事件。誰も関東軍を止められず、起こしたことに対する責任を問えず、関東軍の暴走は続きます。
柳条湖事件の語呂合わせ②
戦(193)の初め(1)は柳条湖事件
これをきっかけに、満州国建国、日中戦争へと突入していきました。
柳条湖事件の語呂合わせ③
柳条湖に行く際(1931)には気をつけて
南満州鉄道の爆破からわずか1日で沿線地域は関東軍の支配下に置かれました。
柳条湖事件の語呂合わせ④
満州から引く(19)際(31)には徒歩がおすすめ
関東軍、中国軍、共に満州鉄道は格好の爆破目標だったようですがいつ爆破されるか怖くて鉄道を利用できなかったでしょうね。
柳条湖事件の語呂合わせ⑤
一句(19)、災(31)難を自作自演の柳条湖事件[/marker]
柳条湖事件が起こったことによって、その後は日本は国際社会において孤立することになりました。
以上、柳条湖事件の語呂合わせでした!
ちょっと裏話
この時代に盛んに登場する「関東軍」ですが「日本軍」との違いを理解しておきましょう。
「日本軍」とは天皇がトップに立つ日本の本土に本拠地を置く軍隊のことです。
一方の「関東軍」のトップは司令官で中国の関東州(旅順・大連)に本拠地を置きました。
そもそも関東軍は日本軍の配下であり日本から派遣されている軍隊という位置づけでした。
1919年に設置された当初は関東州や南満州鉄道の保護のために活動していましたが、中国内での抗日運動が盛んになってくると中国での権益を守るためと称して行動が過激化し、ついには自作自演の柳条湖事件を起こすまでになりました。