10世紀(平安時代中期)の日本では、私有地(荘園)広がっていました。
平将門は関東で荘園を支配、管理していた平一門出身。平一門のような有力者は、土地をめぐって争ったり、税を納める朝廷とトラブルを起こすこともありました。
平将門の乱は、土地をめぐる争いで、朝廷の権威がゆっくりと揺らぎはじめる10世紀の日本を把握するのにとても重要な出来事です。
今回はそんな『平将門の乱の覚え方(語呂合わせ)』とともに概要もしっかり把握しておきましょう!
目次
平将門の乱とは?
(平将門 出典:Wikipedia)
平将門は桓武天皇の子孫で、関東に勢力をのばしていた武士集団、平氏の一門です。
平将門の乱は、935年この平氏一門内で土地の所有をめぐる争いからはじまります。
以下、平将門にかかわる主な事柄です。
事柄年表
935年 関東で将門が父から受けつぐ土地をめぐって平家一門のお家騒動がおこる。
平将門vs.平国香+良兼+良正(3人とも将門の叔父)。将門の勝利。国香を滅ぼし、その所領を得る。
936年 平将門vs.平貞盛(国香の息子)+良兼+良正で再戦。将門の勝利。
938年 武蔵国(現在の埼玉と東京の西側)で朝廷の受領と郡司が争う。
受領:国の徴税責任者 郡司:地域の代表者で税を集めて納める郡司が関東での有力者であった平将門に仲裁を頼むが、将門が訴えられる。
939年 常陸国(ひたちの国。現在の茨城県日立市あたり)で、受領:藤原維幾(ふじわらのこれちか)vs.土地所有者:藤原玄明(ふじわらのはるあき)が争う。
玄明が、将門の本拠地である下総国(しもうさの国。現在の千葉北部+茨城南部のあたり)に逃げる。将門が仲裁。将門vs. 維幾+平貞盛の争いに発展する。将門が勝利し、常陸国を支配。
将門は勢いにのり、関東全域を支配します。桓武天皇の子孫である将門は“新皇”と称します。将門を見過ごせなくなった朝廷は将門追討令だします。
940年 将門vs.平貞盛+藤原秀郷+その他、朝廷の有力武将たちで決戦。将門が敗れる。
敗戦後、斬首された将門の首は、京の七条河原にさらされます。将門の首は、胴体のある関東へ向かって飛んでいき、現在の東京都千代田区大手町あたりに落ちたという逸話があります。大手町には将門の首塚が建てられました。
将門討伐で活躍した、平貞盛の子孫は平清盛で、朝廷政治を牛耳るほどになります。また、藤原秀郷の子孫は奥州藤原氏となり、独自の政治文化を繁栄させます。
【平将門の乱の語呂合わせ】年号(935年)の覚え方
平将門の乱の語呂合わせ①
組(93)でご(5)苦労、平将門
平一門という“組”のなかで起こった争いに苦労した将門です。
平将門の乱の語呂合わせ②
苦(9)労、さん(3)ざん、い(5)ばらぎでも将門は戦うよ
現在の茨城県日立市のあたり、常陸国で将門は戦っています。
平将門の乱の語呂合わせ③
クミコ(935)じゃないよ、国香(くにか)が敵だよ平将門の乱
平将門は叔父の国香と争い、勝って所領を手にしました。
平将門の乱の語呂合わせ④
クミコ(935)じゃなくて国香に勝利、平将門。く(9)びがしれ(40)っと飛んだよ負けたあと
国香と争い勝利した将門。そのあと勢力を拡大しますが、朝廷軍に負けて処刑されたあと、首が東へ飛んでいったという逸話を表します。
平将門の乱の語呂合わせ⑤
平氏一門の組(93)分け後(5)将門が勝つ、けれど朝廷に兵を駆使(94)され(0)首がとぶ
平氏一門は土地をめぐって二つの組に分かれて争い、将門が勝ちます。しかし、朝廷に討伐の兵を挙げられて、将門は敗れ首をとばされました。
平将門の乱の語呂合わせ⑥
草(93)がガ(5)サガサ、平の乱
平将門の乱の語呂合わせ⑦
くさい(93)ね、ご(5)めんよ平のおなら
平将門の乱の語呂合わせ⑧
休眠(93)はいつ(5)になるのか平の乱
平将門の乱の語呂合わせ⑨
グミ(93)をいつ(5)でも食べてる平将門
以上、平将門の乱の語呂合わせでした!