14世紀になると、幕府や荘園領主に反抗する悪党と呼ばれる集団の活動が盛んになり、元寇以来の武士たちの不満も一層高まっていました。
そして、1333年に鎌倉幕府は滅亡します。そのあとを受けたのが建武の新政です。
鎌倉幕府の滅亡から室町幕府への移行期である建武の新政の概要と年号を、しっかり理解し暗記しておきましょう。
目次
建武の新政とは?
(後醍醐天皇図 出典:Wikipedia)
建武の新政とは、1333年から1336年にかけて、後醍醐天皇が醍醐天皇と村上天皇の治世である延喜・天暦の治を理想にして、親政をおこなった時期のことを指します。
(※建武の中興、または建武政権とも呼ばれることもあります。建武の新政という名称は、鎌倉幕府倒壊の翌年、建武と改元したことに基づきます。)
これ以前、すでに後醍醐天皇は倒幕を計画したことがありました。それが、正中の変(1324年)と元弘の変(1331年)ですが、2回とも発覚して元弘の変のあとには隠岐に流されます。
しかし、1333年、隠岐を脱出した後醍醐天皇は伯耆国の名和長年に迎えられ、鎌倉幕府を支持できなくなっていた武士たち、とくに足利尊氏や新田義貞の支持を得て、幕府軍に勝利します。
建武と改元して新しい政治を始めた後醍醐天皇ですが、その基本は朝廷政治の復権、公家を重視することで、武士たちの要求からかけ離れていました。その典型的な例が、所領安堵は綸旨によるとしたため、武士たちの間に大混乱を招いたことです。
あらゆる所領紛争が天皇のもとに持ちこまれ、たとえ天皇個人がどれほど有能であったとしても、これらすべてを解決することは不可能でした。このあたりの事情は「二条河原の落首」に皮肉をまじえて表現されています。
結局、建武の新政は1336年、足利尊氏が武士政権の再興を呼びかけて挙兵したことにより、失敗に終わります。
【建武の新政の覚え方】年号(1334年)の語呂合わせ
建武の新政の語呂合わせ①
鎌倉の一味(13)刷新(34)建武の新政
後醍醐天皇が鎌倉幕府を倒して天皇親政を始めたことに関わらせて、旧鎌倉幕府の「いち(1)み(3)さっ(3)しん(4)」と覚えましょう。
建武の新政の語呂合わせ②
独り(1)で寂し(334)い建武の新政
建武の新政が朝廷政治の復権であり、天皇親政を推し進めようとしたことに関わらせて「ひとり(1)でさ(3)み(3)し(4)」と覚えましょう。
建武の新政の語呂合わせ③
人(1) さあ(3)見よ(34) 建武の新政
建武の新政の招いた混乱が、二条河原の落首によって皮肉まじりに示されたことに関わらせて、落首を「ひと(1)、さあ(3)み(3)よ(4)」と覚えましょう。
建武の新政の語呂合わせ④
不満な人(1)、散々よ(334)、建武の新政
建武の新政の政策が、武士たちの不満をさらに大きくしたことに関わらせて「ひと(1)、さん(3)ざん(3)よ(4)」と覚えましょう。
建武の新政の語呂合わせ⑤
結果は悲惨さ(133)、世(4)は、建武の新政
建武の新政が、社会的存在として無視できないはずの武士勢力を重視せず、歴史の流れに逆らう復古に終わって失敗したことに関わらせて、「ひ(1)さん(3)さ(3)、よ(8)」は建武の新政と覚えましょう。
建武の新政の語呂合わせ⑥
いざ(13)見よ(34)! 建武の新政だ
建武の新政の語呂合わせ⑦
い(1)つもさみ(33)しいよ(4)、建武の新政
建武の新政の語呂合わせ⑧
人(1)が散々(33)死(4)んだ、建武の新政
以上、建武の新政の語呂合わせでした!