【正徳の治の語呂合わせ】年号(1709年)の覚え方を紹介!【おすすめ5選】

 

新井白石は儒学者であり、正徳の治を行った人物として有名です。

 

人柄は「鬼」と恐れられるほど口が達者で相手を言い負かしていたといいますが、一方で家庭の事情がある同僚に仕事を譲るといった思いやりも持っていたといわれています。

 

今回はそんな新井白石が行った正徳の治の概要・年号の覚え方(語呂合わせ)についてご紹介します。

 

正徳の治とは?

(新井白石 出典:Wikipedia

 

 

正徳の治(しょうとくのち)とは、江戸幕府の6代将軍徳川家宣と7代将軍徳川家継の治世に、儒学者であり政治家としても活躍した新井白石が1709年から行った文治政治のことです。

 

6代将軍家宣の儒臣として家宣の政治を支えることとなった新井白石は、まず5代将軍である徳川綱吉が出して廃止を禁じていた生類憐みの令を、綱吉が亡くなった直後の1709年に廃止しました。

 

また、6代将軍家宣の側用人の間部詮房とともに、経費が掛かりすぎていた朝鮮通信使の待遇を簡素化したり、正徳小判という良貨を発行してインフレに歯止めをかけたりしました。

 

さらに、7代将軍家継の治世でも間部詮房と共に正徳の治を続行し、金銀流出を防ぐために長崎貿易を制限する海舶互市新例を出すなどの政治を行いました。

 

しかし、これらの政治によって側用人が非常に強い力を持つようになり、幕府の財政も出費がかさみ破綻寸前に追い込まれていきました。

 

8代将軍に徳川吉宗が就任すると、吉宗はこれらの幕政を改革し幕府の権威を回復すべく、新井白石や間部詮房など正徳の治に関わった先代の実力者を退け、冷遇しました。

 

 

(徳川吉宗 出典:Wikipedia)

 

 

そして将軍を中心とした幕藩体制の政治へと幕政を戻しました。

 

これにて、新井白石らによって行われた正徳の治は終焉を迎えることになりました。

 

【正徳の治の語呂合わせ】年号(1709年)の覚え方!

正徳の治の語呂合わせ①

いいな(17)、奥(09)で政治だ、正徳の治

 

裏で将軍を操って政治を行っているイメージですね。

 

正徳の治の語呂合わせ②

正徳の治で避難(17)だ!お灸(09)を据えられぬよう

 

「鬼」と言われるとは新井白石は相当怖い人物だったのでしょう。

 

正徳の治の語呂合わせ③

正徳の治で非難(17)され億劫(09)だ

 

口が達者な新井白石にはだれも勝てなかったといいます。

 

正徳の治の語呂合わせ④

雛(17)も奥(09)に引っ込む正徳の治

 

正徳の治はまさに新井白石と間部詮房の天下だったといえるでしょう。

 

正徳の治の語呂合わせ⑤

正徳の治でいいな(17)億(09)も稼げて

 

どの時代にも利権にありつけた者だけが稼げるといえますね。

 

 

以上、正徳の治の語呂合わせでした!

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