5世紀の朝鮮半島は高句麗(こうくり)、新羅(しらぎ)、百済(くだら)の三か国に分かれ、中国の唐を交えて、高句麗+百済vs.新羅+唐で争っていました。

 

そんな中、660年、新羅+唐に百済が滅ぼされます。

 

大国・唐のさらなる侵攻を警戒した日本は、百済復興を援けるため、新羅+唐と白村江で戦うことになります。

 

今回はそんな白村江の戦いの覚え方についてご紹介します。

 

まずはその前に「白村江の戦い」についておさらいしましょう!

 

白村江の戦いとは?

(6世紀ごろの朝鮮半島 出典:Wikipedia)

 

 

大化の改新をスタートとして、日本では天皇を中心とした中央集権体制をつくっていました。

 

これは、国内が争いで不安定になるのを避けるためもありましたが、大国・唐や朝鮮半島から攻められない強く安定した国をつくるためでもありました。他国から日本を守るためには税収や兵を中央政府で管理する必要があったからです。

 

日本は朝鮮半島に任那日本府を置いており、任那は百済の南端にあったので、日本と百済は親交がありました。

 

朝鮮半島では、高句麗+百済が新羅に侵攻。新羅は唐に助けを求め反撃にでました。そして660年、新羅+唐は百済を滅ぼします。

 

こうなると朝鮮半島からさらに進んで、唐の影響力が日本にも及んでくるかもしれません。

 

百済復興の動きがあり日本にも手助けを求め、当時、日本政府の実権を握っていた中大兄皇子は、唐の圧力を恐れて、百済復興を助けるために約3万弱の兵で朝鮮半島へ出兵しました。

 

663年、朝鮮半島の西岸、白村江で日本水軍は唐軍とぶつかり、1日で大敗しました。これを白村江の戦いといいます。

 

白村江の戦いで敗れた日本は、任那日本府を朝鮮半島から撤退させます。

 

そして、その後九州に防人(さきもり)という防衛兵をおきました。国をあげて強固な防衛ラインをつくるためにも、中央集権体制を確立することが必須となります。

 

唐はさしあたって日本には目を向けず、高句麗を攻めて665年に高句麗を滅ぼしました。

 

【白村江の戦いの語呂合わせ】年号(663年)の覚え方

白村江の戦いの語呂合わせ①

ム(6)無残!(63)。唐に大敗、白村江。

 

一日で唐の水軍に大敗北してしまった、無残な状況が浮かびます。

 

白村江の戦いの語呂合わせ②

ろくろく(66)見(3)ずに終わった白村江

 

唐・新羅連合軍に歯が立たず白村江で大敗したことを表します。

 

白村江の戦いの語呂合わせ③

ムム(66)、白村江惨敗でみ(3)まな(任那)も撤退

 

白村江の戦いの大敗で、朝鮮半島の足掛かりだった任那からも撤退せざるをえなくなってしまいました。

 

白村江の戦いの語呂合わせ④

唐には無論(66)惨(3)敗、白村江

 

大国・唐とぶつかって、勝てる見込みはなかったでしょう。

 

白村江の戦いの語呂合わせ⑤

百済ム(6)シできず、無残(63)に大敗、白村江

 

百済の助けを無視できずに出兵はしましたが、惨敗してしまいました。

 

白村江の戦いの語呂合わせ⑥

ムリムリ、見たくない!白村江の戦い

 

白村江の戦いの語呂合わせ⑦

室(66)伏さん(3)も戦った、白村江の戦い

 

白村江の戦いの語呂合わせ⑧

ボロ(6)ボロ(6)にさん(3)ざんにやられた白村江

 

 

以上、白村江の戦いの語呂合わせでした!

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