江戸時代が始まって100年たつ頃、幕府の財政は度重なる浪費により破綻寸前になっていました。
将軍の権威も低下しているなかで、八代将軍となった徳川吉宗は1716年から質素・倹約を奨励する享保の改革を実施し、幕府の財政を見事に再建しました。
今回はそんな享保の改革の概要・覚え方についてご紹介したいと思います。
目次
享保の改革とは?
(八代将軍徳川吉宗 出典:Wikipedia)
享保の改革とは、1716年(享保元年)から八代将軍徳川吉宗が実施した財政の再建を主目的とする幕政改革のことです。
江戸幕府中期では、六代将軍徳川家宣や七代将軍徳川家継のもと、新井白石やその補佐役の間部詮房によって政策が推進されましたが、それまでの散財が祟り、幕府財政は破綻寸前まで追い込まれていました。
1716年、紀州藩主であった吉宗は八代将軍に就任し、白石や詮房を退け、将軍自らが力を持ち、幕政の改革に着手しました。
享保の改革では、質素倹約を奨励し、役職によって在任中の禄高を追加する「足高の制」や、庶民からの直訴を募る「目安箱」の設置、家柄や年齢に関係ない人材の登用など、思い切った改革を次から次に行いました。
江戸の火事対策などの都市政策や公事方御定書などの法整備、新田開発や定免法の採用による年貢増徴策にも力を入れ、幕藩体制を立て直し、財政の健全化も実現させました。
これらの政策は、江戸幕府を支え再建するという意味では非常に優れた政策でしたが、庶民は窮屈な生活を強いられたともいわれています。
また米価や物価の安定に努めたもののなかなかうまくいかず不振に終わったことから吉宗は米将軍とも呼ばれました。
【享保の改革の語呂合わせ】年号(1716年)の覚え方
享保の改革の語呂合わせ①
非難(17)も色々(16)、享保の改革
何をやっても批判する人はいますよね。吉宗も大変だったでしょう。
享保の改革の語呂合わせ②
いいな(17)、意見を拾う(16)享保の改革
目安箱によって小石原養生所の設置が実現するなど庶民の意見が拾われたのは良いことですね。
享保の改革の語呂合わせ③
改革で美男(17)のヒーロー(16)吉宗様
実際に吉宗がイケメンだったかはわかりません。
享保の改革の語呂合わせ④
贅沢はいけない(171)、無理(6)!享保の改革
庶民は極端な質素倹約を強いられて本音では「無理!」と言いたかったでしょう。
享保の改革の語呂合わせ⑤
非難(17)だ、疲労(16)だ!享保改革!
享保の改革で、将軍自ら質素倹約に励み、精力的に活動したので、役人たちの疲労から非難したかったことでしょう。
以上、享保の改革の語呂合わせでした!