長い間、京都は日本の中心地でした。

 

南朝は京都から見て南にある吉野を拠点とした朝廷の呼び方であり、また、京都は吉野にとって北にあるので北朝となります。

 

朝廷の分裂状態は、室町幕府の成立(1336年)から60年近く続きました。

 

これが解消される1392年は、室町幕府の発展と密接な関わりを持っている重要な年号です。

 

今回はそんな南北統一の概要・年号の覚え方(語呂合わせ)についてご紹介します。

 

南北朝統一とは?

(吉野山 出典:Wikipedia

 

 

南北朝統一は、1392年、初代の室町幕府将軍である足利尊氏の孫、義満の時代になされました。

 

室町時代の初期の1350年、尊氏派とその弟の直義派の戦いが起き(観応の擾乱)、これが南北朝廷の争いと絡みあって、しばらく全国的に戦乱が続きました。

 

しかし、3代将軍足利義満のころになると争乱も収まり、武士たちは足利幕府に統合されていきます。

 

 

(足利義満 出典:Wikipedia)

 

 

こうした幕府の安定を背景にして、義満は南北朝の和解を提案。南朝の後亀山天皇が京都に帰り、京都の後小松天皇に三種の神器を引き渡して譲位するという形式で、南北朝が統一されました。

 

では、どうして朝廷が京都と吉野に分裂して、南北2つの朝廷ができたのでしょうか。

 

この原因は、鎌倉時代、1221年の承久の乱にまでさかのぼります。承久の乱は、後鳥羽上皇が2代執権北条義時を追討しようとして敗北した事件です。

 

この乱後、義時の子、3代執権泰時は後嵯峨天皇を即位させます。

 

後嵯峨天皇は子の後深草天皇に譲位して院政を敷き、さらに後深草天皇の弟の亀山天皇を即位させます。

 

ところが、後嵯峨上皇は、院政の後継者つまりは実質的な朝廷権力の後継者を指名せずに死去してしまいます。

 

こうして天皇の系譜は、後深草天皇の系統である持明院統と亀山天皇の系統である大覚寺統に分裂。両統は皇位をめぐって争いを続けますが、交互に即位する両統迭立という鎌倉幕府の勧めを受け容れました。

 

しかし、1336年、建武の新政を足利尊氏によって崩壊させられた大覚寺統の後醍醐天皇が京都を脱出し、吉野の地で自分の正統性を主張して南北朝の動乱が始まりました。

 

【南北朝統一の覚え方】年号(1392年)の語呂合わせを紹介!

南北朝統一の語呂合わせ①

いざ(13)国(92)統一、南北朝

 

昔から言われてきた定番の語呂合わせの1つで、「い(1)ざ(3)く(9)に(2)」統一と覚えましょう。

 

南北朝統一の語呂合わせ②

いざ(13)国(92)が1つとなりし、南北朝

 

これも①と同様、昔から言われてきた定番の語呂合わせの1つですが、こちらは同じ年に李氏朝鮮の統一がなされたこともあわせて覚えようという「い(1)ざ(3)く(9)に(2)」が1つとな「りし=李氏(朝鮮)」です。

 

南北朝統一の語呂合わせ③

1つ(1)の御国(392)へ南北朝統一

 

朝廷の統一に注目して「ひとつの(1)み(3)く(9)に(2)」と覚えましょう。

 

南北朝統一の語呂合わせ④

分裂の遺産(13)の工夫(92)が南北朝統一

 

負の遺産である皇統の分裂状態を終わらせる仕方が、南朝の天皇から北朝の天皇への譲位というものであったことに関わらせて「い(1)さんの(3)く(9)ふう(2)」と覚えましょう。

 

南北朝統一の語呂合わせ⑤

秘策(139)を使(2)って南北統一

 

 

以上、南北朝統一の語呂合わせでした!

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