【太閤検地の語呂合わせ】年号(1582年)の覚え方を紹介!【おすすめ5選】

 

現在は1㎡と言えば全国どこでも1㎡ですが、安土桃山時代の前半においては、物差しや桝の基準は全国各地で統一されていませんでした。

 

そこで、土地や米の測量基準を統一し、年貢を取りやすくした制度を作ります。これが「太閤検地」です。

 

今回はこの太閤検地の概要・年号の覚え方(語呂合わせ)についてご紹介します。

 

太閤検地とは?

(豊臣秀吉 出典:Wikipedia

 

 

太閤検地とは、1582年に豊臣秀吉(当時は羽柴秀吉)が行った土地の測量調査のことです。

 

秀吉は太閤検地によって確実に土地と農民を支配し、年貢を取れるようにしました。

 

それまでの荘園公領制の場合、それぞれの土地の所有者が不明確で納税者を特定することが困難な状況でした。

 

それを太閤検地では土地の所有者は耕作者である農民と定め、納税者は土地の所有者であることが明確になります。

 

こうして確実に年貢の取り立てをできる仕組みができ上がりました。

 

田畑の広さや収穫高を調べるために、全国統一基準の物差しや枡などの計測器を使いました。

 

1間を63寸、1歩が1間四方などの数の単位を使い、桝は京枡、さらに上・中・下・下々の4等級に田畑がランク付けをされました。

 

 

石高は検地により算出された数値や評価をもとに決まりました。

 

また、実際の検地業務は検地奉行が行い、田畑だけではなく屋敷なども調査対象でした。

 

検地をする以前は土地の所有者や農村などの自己申告制だったために数値的には曖昧でしたが、派遣された奉行による測量を行ったため基準が明確になります。

 

しかし、実際の計測が行われていない地域もあるうえ、さらに軍事的負担を各大名の所有地の石高(年貢高)に応じて義務化し、後の数々の戦にも参加を求めました。

 

太閤検地を行った目的は、検地に刀狩りを併せて農民一揆を起こしずらくすることでした。

 

 

兵農分離が徹底されたことは、後の江戸幕府の全国支配の基礎にもなっています。

 

【太閤検地の語呂合わせ】年号(1582年)の覚え方!

太閤検地の語呂合わせ①

以降は増(1582)えた年貢の量

 

正確な測量に基づいた制度で税収が増えます。

 

太閤検地の語呂合わせ②

検地に派遣される一行(15)いやに(82)なった

 

遠くまで測量に行く奉行たちも嫌になるかもしれません。

 

太閤検地の語呂合わせ③

隠語(15)も飛び交う罰(82)恐ろし

 

不正が発覚したときの処分が怖そうです。

 

太閤検地の語呂合わせ④

検地以後(15)はパニ(82)ックに!

 

太閤検地で新しい税制が施行されたときは混乱もあったでしょう。

 

太閤検地の語呂合わせ⑤

一戸(15)の検地に物差し把持(82)する

 

物差しをしっかり持って測りました。

 

 

以上、太閤検地の語呂合わせでした!

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