現在は平和な世界が確立されていますが、半世紀前には全世界が固唾を飲んだ危機的な出来事が起こっていました。
核戦争のはじまりともうわさされた「キューバ危機」です。
今回はそんなキューバ危機の概要・年号の覚え方についてご紹介します。
目次
キューバ危機とは?
(キューバで発見されたソ連のミサイル基地 出典:Wikipedia)
キューバ危機とは、1962年(昭和37年)キューバでのミサイル基地建設を巡るアメリカとソ連が対立した事件です。
核戦争の可能性もある一発触発の状態にまで発展。ケネディ大統領とフルシチョフ首相との書簡によるやり取りで解決を図りました。
キューバ危機が起こった原因は、1950年代にキューバ革命が起こったことから始まります。
サトウキビ畑から得られる利益を、保護国であるアメリカに吸い取られることなどによる不満から革命が起きました。
そして、革命後の政策に納得できないアメリカとキューバの間で国交が断絶します。
その後、アメリカと冷戦状態にあったソ連とキューバが接近。キューバ国内にソ連のミサイル基地を建設していることをアメリカが発見し、危機感を持ったケネディ大統領は軍事行動として海上封鎖をします。
(海上封鎖宣言に署名するケネディ大統領 出典:Wikipedia)
最終的には、ソ連が核ミサイルの撤去をしたことで大ごとには至りませんでした。
戦争を回避することができた理由は、ケネディ大統領にもソ連のフルシチョフ首相にも戦争を回避する思いがあったからではないかと言われています。
後にフルシチョフ首相は、アメリカに攻撃する用意は出来ていなかったと述べています。
そして、この出来事から核兵器を持った国家間での争いの危険さや、核軍備開発競争によって経済が圧迫されることから、ソ連において対米関係の改善を求める意見も出て来ました。
ホットライン協定によってホワイトハウスとクレムリンが直接対話することになりました。
【キューバ危機の語呂合わせ】年号(1962年)の覚え方!
キューバ危機の語呂合わせ①
ミサイル撤去の日(1)クール(96)を装いつつフウ(2)とため息
核戦争の脅威から解放された時は、関係者も安堵したと思われます。
キューバ危機の語呂合わせ②
基地建設をひ(1)とめ見て、キュー(9)バにム(6)ッとして海上封(2)鎖
基地を見つけた時は、アメリカ政府も怒りを持ったことでしょう。
キューバ危機の語呂合わせ③
キューバ危機の解決、ひと苦労に(1962)
その後、ケネディ大統領には最悪の結果が訪れます。
キューバ危機の語呂合わせ④
いく(19)日も、ろく(6)に眠れずフ(2)ルシチョフも疲労困憊
危機的状況の中、どれ程の睡眠時間だったのでしょうか?
キューバ危機の語呂合わせ⑤
いく(19)ら頑張っても無(6)に(2)なったら大変だ
国家間の交渉はほんの少しのことですれ違いになります。
以上、キューバ危機の語呂合わせでした!