17世紀以降のヨーロッパ各国では市民を中心に王政を倒そうとする革命(市民革命)が次々と起こりました。
今回はイギリスで起きた「ピューリタン革命の概要・年号の覚え方(語呂合わせ)」を紹介します。
目次
ピューリタン革命とは?
(ピューリタン革命 出典:Wikipedia)
ピューリタン革命とは、1642年にスチュアート朝の専制主義に対してピューリタンが中心となって起こした市民革命のことです。
ピューリタンとはキリスト教のカルヴァン派のことで清教徒とも呼びます。このためピューリタン革命は「清教徒革命」とも呼ばれています。
ピューリタンは信仰と勤労に重きを置いており信者には産業資本家層が多くいました。
当時のイギリス議会もピューリタンが多数を占めていました。
◆ピューリタン革命の背景
ピューリタンを中心とする議会は宗教的にはイギリス国教会と対立関係にあり、政治的には国王と対立関係にありました。
議会は1628年に同意のない課税や不法逮捕に反対する「権利の請願」を国王・チャールズ1世に提出しましたが、王はこれを拒否しました。
そればかりか1629年から1940年の間に一度も議会は招集されず、完全な国王の独裁体制のもとで政治が行われていたのです。
このような背景のもとで1642年、熱心なピューリタンであった議会派のクロムウェルを指導者としたピューリタン革命が起こりました。
◆ピューリタン革命の結果
1649年ついに国王・チャールズ1世は処刑され「共和政(コモンウェルス)」が始まりました。
*共和政(コモンウェルス):主権者である国民が選んだ代表者が話し合いで政治を進めること
しかし、革命の成功で権力を手に入れ軍事権を握ったクロムウェルは共和政とは名ばかりの軍事独裁体制をとり、自分に反対する勢力を次々と弾圧します。
このため政局は不安定で混乱したものでした。
クロムウェルの死去後の1660年、政局を安定させるために議会の尊重を条件とした「王政復古」を議会が認めます。
こうしてまた国王・チャールズ2世のもとで王政が始まりました。
【ピューリタン革命の語呂合わせ】年号(1642年)の覚え方!
ピューリタン革命の語呂合わせ①
イチロー(16)世に(42)問うピューリタン革命[marker]
この当時のイギリスにイチローさんという名の人がいたかどうかはさておき多くの市民が世の中を変えようと奮闘していたのです。
ピューリタン革命の語呂合わせ②
クロムウェルをヒーロー(16)と信じて(42)ピューリタン革命
クロムウェルは熱心なピューリタンであり政治家であり軍人でした。
ピューリタン革命の語呂合わせ③
ヒーロー(16)に用心(42)すべきだったピューリタン革命
革命前は同じ志しだと思っていたのに革命成功後にまさか独裁者になるとは誰が予想できたでしょう?
ピューリタン革命の語呂合わせ④
ピューリタン革命で疲労(16)がたまり夜逃げ(42)する
信仰心の篤いピューリタンにとっても革命はつらかったようです。
ピューリタン革命の語呂合わせ⑤
ピューリタン革命で疲労(16)した詩人(42)が書いた「失楽園」
革命派の中には有名な詩人「ミルトン」もいました。ミルトンは革命詩人とも呼ばれ後にイギリス文学を代表する叙事詩「失楽園」を書きました。
以上、ピューリタン革命の語呂合わせでした!