江戸時代は260年もの間、徳川幕府の将軍を頂点として武家が政治を行ってきました。
しかし、将軍中心の政治であった江戸時代に終わりをつげ、天皇を中心とした新しい形の政治体制を提唱したのが、王政復古の大号令です。
今回はそんな1867年に発表された王政復古の大号令の概要・年号の覚え方についてご紹介します。
目次
王政復古の大号令とは?
王政復古の大号令とは、1867年に薩長の討幕派を中心に計画され、江戸幕府の廃止と政治体制の変革による新政府の樹立を宣言したものです。
江戸幕府の第15代将軍徳川慶喜は、幕府による政治に限界を感じていたため、1867年10月に大政奉還を行い、政権を朝廷に返上しました。
(徳川 慶喜 出典:Wikipedia)
そして、朝廷を中心とした政治のなかで、自らも主導的な地位を保ち徳川家として勢力を保とうとしました。
しかし、薩長の討幕派はその動きをよしとせず、1867年の12月に王政復古の大号令を発表し、江戸幕府の廃止と新政府の樹立を宣言するクーデターを起こしました。
王政復古の大号令では、幕府の廃絶、摂政・関白の廃止、総裁、議定、参与からなる三職の設置などを宣言しています。
これによって、慶喜ら旧幕府の勢力を新政府から排除し、天皇を中心として有力な公家や長州、薩摩など討幕に尽力した一部の藩によって新政府が樹立されました。
旧幕府軍の一部はこの動きに激怒し、鳥羽伏見の戦いを起こし、戊辰戦争へと繋がっていきましたが、その勢力も1869年には五稜郭の戦いで消滅しました。
そのさなかに江戸の無血開城や、五箇条の御誓文の発布など、着々と新政府による政治の足場が固められていき、長期にわたる武士の政治から、天皇を中心とする新しい政治の形へと変化しました。
【王政復古の大号令の語呂合わせ】年号(1867年)の覚え方!
王政復古の大号令の語呂合わせ①
イヤ(18)、むな(67)しいな~、王政復古の大号令
旧幕府側はむなしいと感じずにはいられなかったことでしょう。
王政復古の大号令の語呂合わせ②
ひい(1)!やむな(867)く、王政復古の大号令
慶喜が新政府に影響力を残そうとした時点で、王政復古の大号令は避けられないものだったのかもしれませんね。
王政復古の大号令の語呂合わせ③
王政復古で新政府一派(18)の胸(67)ぐら掴む
徳川慶喜からしたら、新政府の動きは許せないものだったでしょう。
王政復古の大号令の語呂合わせ④
いや(18)無理(6)な(7)お願い、王政復古の大号令
無理といっても、もはや旧幕府側には大号令を覆す力は残っていませんでしたね。
王政復古の大号令の語呂合わせ⑤
一夜(18)でろくな(67)ことにならなかった大号令
一夜で旧幕府側は悲惨な立場になってしまいましたね。
以上、王政復古の大号令の語呂合わせでした!