【二・二六事件の語呂合わせ】年号(1936年)の覚え方を紹介!【おすすめ3選】

 

1920年代から30年代、農村では欠食児童や女性の身売りが目立つようになり日本の経済および国民生活は困窮の一途をたどります。

 

また国際的な流れである軍備縮小に関する条約に調印したことで政府と軍部の対立も深まっていきました。

 

今回はそのような背景のもとで起きた事件「二・二六事件」の概要・年号の覚え方をご紹介します。

 

二・二六事件とは?

(叛乱軍の陸軍歩兵中尉 出典:Wikipedia

 

 

二・二六事件とは、1936年(昭和11年)2月26日に陸軍・皇道派の青年将校らが1400名余りの部隊を率いて起こしたクーデター事件のことです。

 

*皇道派:国家改造、軍部独裁、天皇親政などを目指していた一派のこと。反皇道派は統制派といい官僚や政財界と結んで合法的な権力確立を目指した

 

26日の未明に首相官邸、警視庁などを襲撃、大蔵大臣・高橋是清、内大臣・斎藤実、陸軍教育総監・渡辺錠太郎らが殺害され永田町周辺が占拠されました。

 

27日に政府は東京都下に戒厳令を公布、28日には「下士官兵に告ぐ」と言うビラをまくなどして29日にようやく鎮圧に成功します。

 

素早い鎮圧の裏には昭和天皇自身が兵を率いてでも事件を収めようとしたためだ、ともされています。

 

◆二・二六事件の結果

クーデターに参加した大半の兵士は元の部隊に戻りましたが首謀者である青年将校19名は銃殺、また実際に参加はしていなかったものの理論的指導者として思想家・北一輝も死刑となりました。

 

この事件で岡田内閣は総辞職、広田弘毅内閣が誕生します。

 

しかし政権の主導権を支配していたのは陸軍の統制派です。

 

1913年の改正以来13年ぶりに「軍部大臣武官制度」が復活したことで軍部の独裁化は加速度的に進んでいくこととなりました。

 

*軍部大臣現役武官制度:現役の軍人だけが陸軍大臣・海軍大臣になれるという制度。1900年山形有朋の発案で作られた制度で内閣の成立や存続に大きな影響力を持つ

 

【二・二六事件の語呂合わせ】年号(1936年)の覚え方!

二・二六事件の語呂合わせ①

戦(193)、無(6)に包む(226)東京を

 

東京都下に戒厳令が出されるなんて今の時代では想像もできませんね。どれほど状況が緊迫していたかがわかります。

 

二・二六事件の語呂合わせ②

引き金を引く(19)から見ろ(36)と二・二六事件

 

1400名余りの兵士が武装して駆け回っていたなんて本当に恐ろしい事件です。民間人はさぞ怖かったでしょうね。

 

二・二六事件の語呂合わせ③

二・二六事件、行く(19)三郎に(362)風呂(26)沸かす

 

息子・三郎にせめてお風呂に入っていきなさいというお母さん。兵士を送り出す家族は息子たちが起こす事件を知っていたのでしょうか?

 

 

以上、二・二六事件の語呂合わせでした!

 

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