第二次世界大戦において、枢軸国と呼ばれ世界の悪役として扱われた日本、ドイツ、イタリアの三国は、第一次世界大戦後にファシズムの思想へ進みました。
そして三国は同盟を結び、第二次世界大戦という人類史上最悪の戦争を引き起こしました。
今回は、1940年に結ばれた日独伊三国同盟の概要・年号の覚え方についてご紹介します。
目次
日独伊三国同盟とは?
(ヒトラーとの会談に臨む松岡洋右 出典:Wikipedia)
日独伊三国同盟とは、1940年(昭和15年)に日本、ドイツ、イタリアの三国の間で結ばれた軍事同盟のことです。
ヨーロッパでのドイツ、イタリアの指導的地位、アジアでの日本の指導的地位を確認し、第三国からの攻撃にたいして相互協力することが定められました。
第一次世界大戦後、日本は大戦景気の反動や世界恐慌などで経済的に苦しくなり、世界の中では軍縮を迫られ苦しい立場にありました。
さらに国際連盟からは満州国からの撤兵を勧告され1931年には国際連盟を脱退し、孤立を深めました。
また1932年には五・一五事件、1936年には二・二六事件が起こり、軍国主義へと傾いていきます。
1937年に日中戦争がはじまると、中国を支援するアメリカとの対立も深まりました。
ドイツでは第一次世界大戦後、多くの植民地を失い多額の賠償金に苦しむなかで、ファシズム思想のナチスを率いるヒトラーが首相となって1933年に国際連盟を脱退しました。
イタリアも植民地が少なかったため経済的に苦しみ、ファシスト党を率いるムッソリーニが首相となり、1937年に国際連盟を脱退しました。
三国は世界の中で、孤立を深め、植民地獲得のためにそれぞれの思惑のもと1940年に日独伊軍事同盟を結びました。
三国は第二次世界大戦の枢軸国となり、イタリアとは1943年のイタリア降伏まで、ドイツとは1945年のドイツ降伏まで同盟関係は続きました。
【日独伊三国同盟の語呂合わせ】年号(1940年)の覚え方!
日独伊三国同盟の語呂合わせ①
日独伊で同盟結びに行くよ~(1940)
日独伊、やはりファシズム思想同士が同盟関係になったのですね。
日独伊三国同盟の語呂合わせ②
日独伊が引く(19)扉が閉まる(40)
日独伊の同盟が、世界と協調する道を閉ざしてしまったと言えます。
日独伊三国同盟の語呂合わせ③
日独伊同盟は大戦の引き金引くよ~(1940)
日独伊三国同盟がアメリカの対日感情を悪くしたことは間違いありません。
日独伊三国同盟の語呂合わせ④
アジア一区(19)をしれ~(40)と侵略、日独伊
日本は第二次世界大戦を大東亜戦争と位置付けていました。同盟でアジアでの指導的地位を確認したことはこの戦争を肯定する意味で大きかったと言えます。
日独伊三国同盟の語呂合わせ⑤
日独伊で一級(19)国の意地を知れ(40)
一級国と自称しながら、経済的に苦しんだ三国の同盟は意地のようなものもあったのではないでしょうか。
以上、日独伊三国同盟の語呂合わせでした!