【下関条約の覚え方】年号(1895年)の語呂合わせを紹介!【おすすめ5選】

 

アジアの小さな島国と思われていた日本が清と下関条約を結び、勝ちを得たことは、世界に非常に大きな驚きを与え、日本を見直すきっかけとなりました。

 

また明治維新以降、富国強兵で国を強化してきた日本が世界の列強と肩を並べる第一歩ともなりました。

 

今回はそんな1895年に結ばれた下関条約についてご紹介したいと思います。

 

下関条約とは?

(下関条約 出典:Wikipedia

 

 

下関条約とは、1895年に山口県下関で結ばれた日清戦争の講和条約のことです。

※正式名称は日清講和条約です。

 

1894年に、朝鮮半島で起こった甲午農民戦争への対応のために日清両軍は朝鮮半島へ進出しました。

 

その後、甲午農民戦争が落ち着いた後も日清両軍は朝鮮半島から撤退せず、そのまま日清戦争へと突入しました。

 

日清戦争では朝鮮半島や遼東半島などが戦地となり、日本軍が勝利を収めました。

 

そして1895年に日本の下関で講和条約を結ぶこととなりました。

 

下関条約の日本側の全権は伊藤博文と陸奥宗光で、清国側は李鴻章。

 

条約の内容は

・清が朝鮮半島の独立を認めること

・日本に遼東半島、台湾、澎湖諸島を割譲すること

・賠償金を2億両支払うこと

・日本に最恵国待遇を認めること

などでした。

 

日本はこの多額の賠償金を利用して金本位制に復帰するなど非常に有意義な条約となりました。

 

しかし下関条約と同年に、ロシア、ドイツ、フランスの三国が遼東半島の独立という観点から遼東半島を清に返還するように要求する三国干渉が行われ、日本はやむなく遼東半島を清に返還しました。

 

日本はこの時にロシアに対して非常に強い憤りを感じ「臥薪嘗胆」を合言葉に、国力をつけていつかロシアを倒すことを目標とするようになり、後の日露戦争へと繋がっていくことになりました。

 

【下関条約の覚え方】年号(1895年)の語呂合わせ!

【下関条約の語呂合わせ①】

いや(18)、苦言(95)を呈される下関条約

 

清国では苦言どころではない批判に晒されたことでしょう。

 

【下関条約の語呂合わせ②】

一夜(18)で立場が急降(95)下の下関条約

 

下関条約で清国の立場は一気に苦しいものになりましたね。

 

【下関条約の語呂合わせ③】

いや(18)~、救護(95)してほしい下関条約

 

清国は周りの国に助けてほしいと強く思ったでしょう。三国干渉では、実際に助けられましたね。

 

【下関条約の語呂合わせ④】

下関条約でひい(1)!野球(89)はいつ(5)できる?

 

清国では野球どころではない状況だったでしょう。

 

【下関条約の語呂合わせ⑤】

下関条約で清国一派(18)は休校(95)したい

 

李鴻章は下関から清に帰るのが本当に辛かったでしょうね。

 

 

以上、下関条約の語呂合わせでした!

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