中国では袁世凱政府が二十一カ条の要求を受諾した日である59日を国恥記念日としていて、現在でも反日運動などが起こることがあります。

 

中国の日本に対する反日感情はこのようなところからもきていると言えます。

 

今回は1915年(大正4年)に日本が中国に突き付けた『二十一カ条の要求の概要・年号の覚え方(語呂合わせ)』についてご紹介していきます。

 

二十一カ条の要求とは?

(袁 世凱 出典:Wikipedia

 

 

二十一カ条の要求とは、第二次大隈内閣が1915年(大正4年)に袁世凱政府に突き付けた、中華民国における権益を拡大するための二十一カ条にわたる要求のことを言います。

 

袁世凱政府は一部を除いてこれを承認したため、中華民国では民衆の間で不満が噴出し、二十一カ条の要求を承認した59日を国恥記念日として、この記念日はいまだに続いています。

 

第一次世界大戦中、日本は日英同盟を理由に対独参戦していました。

 

そのなかで1915年に中華民国における権益の拡大を目論んだ日本は、袁世凱政府に対して

 

  • 山東省におけるドイツ権益を譲渡すること
  • 南満州と内モンゴルの権益を延長することや鉄道の敷設権を日本に与えること
  • 漢陽の製鉄所を日本と中華民国の共同経営にすること
  • 福建省を日本の勢力圏にすること
  • 中国政府の顧問を日本人とすること

などの内容が盛り込まれた二十一カ条の要求を突きつけました。

 

中華民国ではこのような要求に大きな反発が起こり、袁世凱政府も当初は諸外国との交渉でこの要求を排除しようとしましたが上手くはいかず、実力でこの要求すべてを退けることはできませんでした。

 

最終的には、中華民国の主権を侵す日本人顧問の雇用以外のほとんどの要求を受諾することになりました。

 

【二十一カ条の要求の語呂合わせ】年号(1915年)の覚え方!

二十一カ条の要求の語呂合わせ①

中国は引く(19)二十一カ条の要求以後(15)

 

横暴な要求のため中国国民も許せなかったことでしょう。

 

二十一カ条の要求の語呂合わせ②

二十一カ条の要求で一句(19)、「こんなの非行(15)だ!」

 

日本の要求は中国ではまさに非行と捉えられても仕方ないですね。

 

二十一カ条の要求の語呂合わせ③

二十一カ条の要求で行く(19)ぞ!行こう(15)!

 

日本は中国での権益を拡大すべく、盛り上がって二十一カ条の要求を出したことでしょう。

 

二十一カ条の要求の語呂合わせ④

二十一カ条の要求で中国一区(19)以後(15)反日

 

二十一カ条の要求が反日感情を盛り上げる一つになってしまったことは否定できません。

 

二十一カ条の要求の語呂合わせ⑤

二十一カ条の承認!ひい(1)悔い(91)て後悔(5)

 

袁世凱も承認後に非常に後悔したことでしょう。

 

 

以上、二十一カ条の要求の語呂合わせでした!

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