大和政権とは大王を中心に豪族が集まって形成された連合政権です。
そのため大王中心の支配体制をより強固にするためにはどのようにして豪族たちを取り込んでいくかがカギでした。
今回は大王による支配体制のカギとなった「氏姓制度の概要・覚え方(語呂合わせ)」についてご紹介します。
目次
氏姓制度とは?
氏姓制度(しせいせいど)とは、5世紀末から6世紀にかけて形成された大和政権の身分による支配制度のことです。
豪族を大王の支配下に取り込むことが目的で大王が豪族たちに「氏(うじ)」と「姓(かばね)」を授けました。
なぜこうした制度を作ったのでしょうか?
そこには横並びの勢力を持っている豪族たちに氏姓制度に基づいた身分を与えて上下関係を作ることで支配をしやすくしようとした朝廷の考えが反映されています。
◆氏姓制度の「氏(うじ)」
「氏」とは血縁関係を中心に構成された同族的集団のことでいわば「一族」のようなものです。
ただし「氏」には血縁関係のある一族のほかに所有していた血縁関係のない部民(べみん)や奴婢(ぬひ)なども含まれていたので同族的という表現が使われます。
氏の長を「氏上(うじがみ)」、氏上以外の氏を「氏人(うじびと)」といいました。
今でも各地に残っている「氏神」様とはこの氏の祖先や守護神のことです。
また氏の名には居住地などの地名からつけられたものと職名からつけられたものがありました。
◆氏姓制度の「姓(かばね)」
間違えやすいところですが「姓」は今でいう苗字などの名前ではなく家柄や地位、職業を示したものです。
「姓」を見れば身分の序列がわかる仕組みになっていて中央の豪族、地方の豪族、部民(べみん)などに大王から授けられ代々世襲されました。
【氏姓制度の覚え方】超簡単!おすすめ語呂合わせ 3選
氏姓制度の語呂合わせ①
脂性(氏姓)ばかりの食事では退化(大化の改新)しちゃう
氏姓制度は大化の改新後にほとんど機能しなくなりました。連合体制から中央集権体制になり身分の序列が意味をなさなくなったからとされています。
氏姓制度の語呂合わせ②
水中で5分間(5世紀末)も同じ姿勢(氏姓制度)で浮かば(氏・姓)ない
大和政権下で形成された身分をあらわす氏姓制度。
もし今でも続いていたら・・・たとえば大阪市在住の鍛冶職人タロウさんだと大阪鍛冶部タロウ(おおさかのかちぬべたろう)さん?
氏姓制度の語呂合わせ③
大王の施政(氏姓)方針演説はわかりづらい
あくまでも現代の感覚ですが読みづらくてややこしいよ、氏姓制度・・・。
以上、氏姓制度の語呂合わせでした!
おまけ
「姓」は、中央の豪族、地方の豪族、部民(べみん)などに大王から授けられ代々世襲されていました。
①中央の豪族
「臣(おみ)」:大王家から分かれた皇別氏族に与えられた姓。多くが大和などの地名由来。曽我臣、平群臣(へぐりのおみ)、葛城臣(かつらぎのおみ)など
「連(むらじ)」:大王家とは祖先の違う神別氏族に与えられた姓。多くが職業名由来。軍事担当の大伴連(おおとものむらじ)と物部連(もののべのむらじ)、祭祀担当の中臣連(なかとみのむらじ)など
またこの中でも最高位を与えられた人は「大臣(おおおみ)」「大連(おおむらじ)」と呼ばれ国政の中心を担いました。
②地方の豪族
「臣」、「連」、「君(きみ)」、「造(みやつこ)」、「直(あたい)」、「首(おびと)」などの姓が与えられ「伴造(とものみやつこ)」や「国造(くにのみやつこ)」、「稲置(いなぎ)」などの地位がありました。
③農民や技術者などの部民(べみん)
部民とは大王家や豪族に仕えている労働者のグループのことで大王や皇族の私有民は「名代(なしろ)」「小代(こしろ)」、朝廷の直轄地・屯倉(みやけ)の耕作民は「田部(たべ)」、豪族の私有民は「部曲(かきべ)」、職能部民は「品部(しなべ)」などの地位を与えられました。