
鎌倉文化は12世紀末から14世紀初め頃までに栄えた文化のことで、その時代に作られた作品や建造物は現在でも目にすることができます。
今回は「鎌倉文化で誕生した文学や芸術の覚え方(語呂合わせ)」を紹介します。
目次
鎌倉文化とは?
(「男衾三郎絵詞」 出典:Wikipedia)
鎌倉文化とは、貴族の支配から武士の支配に変わる時代を反映した文化といえます。
鎌倉文化の特徴としては次の3点があげられます。
1、伝統的で優雅な公家文化と素朴で力強い武士や庶民の文化が融合している
2、中国(宋・元)の文化が影響している
3、禅宗を中心に宗教的な色彩が強くみられる
鎌倉文化の中でも特に発展したのが文学、絵画、建築の分野でした。
◆鎌倉文化・文学
文学ではまず武家色の強い軍記物が流行りました。
軍記物語で有名なのは「保元物語」「平治物語」「平家物語」などです。
中でも「平家物語」は盲目の琵琶法師が全国で語り継いだことから庶民の間にも広く普及しました。
一方で伝統的な公家文化を背景に和歌集も編まれました。
八代集の八番目に当たる勅撰和歌集「新古今和歌集」が1201年の後鳥羽上皇の命で編纂されます。撰者には歌上手として名高い藤原定家がおり、全20巻1900首余りの歌が選ばれました。
また自らがすぐれた歌人でもあった後鳥羽上皇が「和歌は世を治め、民を和らげる」といったことに共感した将軍・源実朝も「金槐和歌集(きんかいわかしゅう)」を作り、僧であった西行は諸国を歩いて「山家集」という歌集を残しました。
ところでこの時代には日本三大随筆のうちの2つが生まれています。
1つめは鴨長明の「方丈記」です。この頃頻発した災害や世の中の移り変わり、人生の無常観などを書いています。
2つめは兼好法師の「徒然草」です。鋭い洞察力と自由な表現力で書かれた「徒然草」は現在でも愛読している人がいるほどの傑作です。
◆鎌倉文化・絵画
絵画では平安時代から続く絵巻物が人気でした。
中でも「平治物語絵巻」や「蒙古襲来絵巻」といった合戦物が有名です。
また肖像画ではより写実的な肖像画である「似絵(にせえ)」が生まれました。
◆鎌倉文化・建築
鎌倉文化を象徴する建築物はなんといっても東大寺でしょう。
東大寺が建てられたのは平安時代ですが兵火からの焼失による再建が行われたのが鎌倉時代でした。
また東大寺の再建に尽力した勧進上人・重源(ちょうげん)は宋の建築様式を取り入れこの時代の建築物に多大な影響を与えました。
この時代の建築物には外来の建築様式を取り入れた新様式と日本古来の建築様式である日本的様式がありました。
新様式には東大寺南大門を代表とする力強くて雄大な「大仏様(天竺様)」と円覚寺舎利殿を代表とする北宋の影響を強く反映した「禅宗様(唐様)」がありました。
また日本的様式は「和様」と呼ばれ蓮華王院本堂(三十三間堂)が代表的建築物です。
【鎌倉文化の覚え方】覚えたい文学&芸術についての語呂合わせ
鎌倉文化の語呂合わせ・文学①
作業に参加した新古今和歌集、定価で現金で買いました
→作業(西行)に参加(山家集)した新古今和歌集、定価(藤原定家)で現金(源実朝・金槐和歌集)で買いました
お公家様で当代随一の歌人が現金で買い物なんて考えられませんね。
鎌倉文化の語呂合わせ・文学②
健康のために連れ歩くにはカモのほうがいい
→健康(兼好法師)のために連れ(徒然草)歩くにはカモ(鴨長明)のほう(方丈記)がいい
連れて歩くなら犬よりもカモ!
鎌倉文化の語呂合わせ・絵巻③
えっ、まきちゃんって平日はもう来ない?来週来る?
→えっ、まき(絵巻)ちゃんって平日(平治物語)はもう来ない?来週(蒙古来襲絵巻)来る?
軍記物のほかには僧侶の伝記物や縁起物も人気がありました。
鎌倉文化の語呂合わせ・建築④
超現実的に考えたら灯台を何台も運べない
→超現(重源)実的に考えたら灯台(東大寺)を何台も(南大門)運べない
南大門にある金剛力士像を作った運慶と弟子の快慶は鎌倉文化を代表する奈良仏師です。
鎌倉文化の語呂合わせ・建築⑤
寺院を建てるなら大仏さまと禅宗さまはよう欠かせねぇ
→寺院を建てるなら大仏さま(大仏様)と禅宗さま(禅宗様)はよう(和様)欠かせねぇ
江戸っ子でべらんめえ口調の大工さんの会話・・・。
鎌倉文化の語呂合わせ・建築⑥
東大の大仏さまとのご縁なんて全然ないわよ、33歳まで
→東大(東大寺)の大仏さま(大仏様)とのご縁(円覚寺)なんて全然(禅宗様)ないわよ(和様)、33歳(三十三間堂)まで
東大の大仏さまって誰なのかはさておき鎌倉文化を代表する寺院、一度は訪れてみたいものです。
以上、鎌倉文化の語呂合わせでした!