明治維新によって文明開化が起こり、様々な分野で江戸時代までとは異なる価値観を人々が持つようになりました。
そして工業も発展するなかで、低賃金で過酷な労働をする民衆の権利も主張され、社会運動が盛んになりました。
今回は、そんな社会運動を政府が抑え込んだ1910年の大逆事件の概要・発生年号の覚え方(語呂合わせ)についてご紹介していきます。
目次
大逆事件とは?
(大逆事件の犠牲者を偲ぶ石碑 出典:Wikipedia)
大逆事件とは、1910年(明治43年)に多くの社会主義者や無政府主義者が明治天皇暗殺計画の容疑で有罪判決がなされ、12人が死刑となった事件のことです。
後に、起訴された多くの人が明治天皇暗殺計画とは無関係だったということが証明されました。
明治時代に入り、工業が発展し、様々な思想も広まっていくなかで、労働者の権利を主張する社会運動が起こるようになりました。そのなかで、社会主義や無政府主義という考え方も広がっていきました。
この時代の代表的な社会主義者である幸徳秋水は自由民権運動などに加わった後に、社会主義に関心を寄せ、日本初の社会主義政党である社会民主党を結成しました。
社会民主党は平民社を設立し平民新聞のなかで、日露戦争反対などを主張。しかし、明治政府はこの社会主義者や無政府主義者の動きを快く思っていませんでした。
そこで1910年に幸徳秋水や管野スガ、大石誠之助ら多くの社会主義者や無政府主義者を明治天皇暗殺の容疑(大逆罪)で起訴し、全員を有罪判決とし、秋水ら12名を死刑に処す大逆事件を起こしました。
(幸徳秋水 出典:Wikipedia)
実際には多くの社会主義者が暗殺とは無関係だったと言われています。
これによって、社会主義運動は下火になり、「冬の時代」と呼ばれるようになりました。
【大逆事件の語呂合わせ】年号(1910年)の覚え方!
大逆事件の語呂合わせ①
大逆事件で牢獄に行くと(1910)~。
無実の罪で牢獄に入れられた気持ちはどんなものだったでしょうか。
大逆事件の語呂合わせ②
大逆事件で引く(19)社会民主党(10)
政府の汚いやり口に社会主義者は引いたことでしょう。
大逆事件の語呂合わせ③
大逆事件で一句(19)政府の是非を問う(10)
当時、文化人がそのようなことをすれば、また罰せられたことでしょう。
大逆事件の語呂合わせ④
ひい(1)!悔い(91)を(0)残した大逆事件
社会主義を広める道半ばでこのような結末になってしまい、秋水らは悔いが残ったと思います。
大逆事件の語呂合わせ⑤
大逆事件で反論しに行く(19)党(10)!
無実の罪に問われ、当然、反論したことでしょうが、その声は届きませんでしたね。
以上、大逆事件の語呂合わせでした!