第一次世界大戦後、ヨーロッパを中心にアメリカ大統領ウィルソンの提唱した「民族自決の原則」が各国に広がりました。
しかしアジア・アフリカ圏はこれに含まれず日本の支配下にあった朝鮮や中国では大きな失望と反発が生まれます。
今回は朝鮮と中国で相次いで起こった運動の一つ「五・四運動」についてその概要・年号の覚え方(語呂合わせ)をご紹介します。
五・四運動とは?
(デモ行進する北京大学の学生 出典:Wikipedia)
五・四運動とは、1919年5月4日に中国で始まった民族運動のことです。
1915年、日本は中国の袁世凱政府に対して「対華21か条の要求」を強引に認めさせます。
この要求により山東省でのドイツ権益の継承や南満州・内モンゴルでの権益拡大、中国政府の要職に日本人が就く、などが認められましたが中国国内での排日運動が盛り上がることになりました。
1919年1月、中国政府は「対華21か条の要求」の無効などを訴えるためにパリの講和会議に代表団を派遣しましたが中国の要求はまったく通りませんでした。
逆に日本が要求していた山東省のドイツ権益の継承を含む中国国内での権益はほとんどが認められました。
この知らせを受けた中国では1919年5月4日、ついに民衆の怒りが爆発し天安門広場から民族運動が始まります。
運動当初は北京大学の学生が中心でしたが運動は瞬く間に全国へと広がり、各地で日本製品の不買運動(日貨排斥)やデモ、ストライキなどが行われました。
五・四運動を受けた政府は同年6月28日にはヴェルサイユ条約への調印を拒否、中国では抗日運動が引き続き行われていくことになりました。
【五・四運動の語呂合わせ】年号(1919年)の覚え方!
五・四運動の語呂合わせ①
一句(19)、行く(19)か腰(54)をあげて天安門広場
五・四運動は北京大学の学生を中心に天安門広場からデモ行進が始まりました。
五・四運動の語呂合わせ②
一句(19)、人(1)救護し(954)よう五・四運動
デモ隊の一部は暴徒化したそうなのでけが人も多かったでしょうね。
五・四運動の語呂合わせ③
ひくひく(1919)と腰(54)が痛んだ五・四運動
デモの参加者は数千人規模であったとされているので人ごみに押されて腰も痛んだことでしょう。
以上、五・四運動の語呂合わせでした!
チェック!!
五・四運動が起こる前に、朝鮮で三・一独立運動が起こっていました。
五・四運動と混同しがちになりますので、以下のように覚えましょう!
「長さん、中腰」(ちょうさん、ちゅうごし)
朝(ちょう)三(さん)、中(ちゅう)五四(ごし)
朝鮮=三・一独立運動、中国=五・四運動