平安時代も後半になってくると各地で有力な武士団が台頭し地方では度々反乱が起きるようになります。

 

今回は奥州で起きた反乱「前九年の役の概要・年号の覚え方(語呂合わせ)」についてご紹介します。

 

前九年の役とは?

(源 頼義 出典:Wikipedia

 

 

前九年の役とは、1051年に起きた奥州での豪族の反乱を抑え込むまでの戦いのことです。

 

奥州とは現在の青森県のことで当時の朝廷では奥州を蝦夷地として異民族扱いをしていました。

 

その中で力をつけた豪族の安部氏が反乱、朝廷はこれを征伐するために1051年源頼義(後に息子の義家も加わる)を奥州の国司として派遣しました。

 

反乱は実に12年間も続きました。

 

源頼義はかなりの苦戦を強いられましたが、最終的には出羽(山形県・秋田県)の豪族であった清原氏の助けを得て1062年にようやく鎮圧に成功しました。

 

◆前九年の役の背景

 

 

当時の朝廷と蝦夷地の間では東北地方の統治について和平交渉が結ばれていました。

 

表向き朝廷の東北征服が成功したことにしながらも実際の統治は蝦夷がそのまま行っていたのです。

 

朝廷は統治権も手中にして完全な東北征服としたかったのですが、当時の朝廷は財政難だったことや蝦夷の力が想像以上に強くて勝てなかったというのが真相のようです。

 

そして奥州の統治を安部氏が始めるようになるとますます力が強大になりました。

 

ついには納税や労役などにもまったく応じなくなりまるで安部氏の独立国家のようになってしまいました。

 

この安部氏の勝手な振る舞いに耐えかねた朝廷はついに源頼義を国司として派遣し前九年の役が始まったのです。

 

◆前九年の役の結果

源頼義は前九年の役を通して関東地方の武士たちとの間に強い主従関係を築いたとされています。

 

この強い主従関係が武士の世界を成長させ、やがては鎌倉幕府の礎となりました。

 

 

また源頼義ら朝廷側を勝利に導いた出羽の豪族清原氏は、出羽に加えて奥州も自身の統治下に加えることになり大豪族となりました。

 

【前九年の役の語呂合わせ】年号(1051年)の覚え方!

前九年の役の語呂合わせ①

一応(10)合意(51)して終わった前九年の役

 

朝廷側の勝利に終わった前九年の役ですが奥州の支配は同じ蝦夷の清原氏が持つことになり実質的にあまり変わりはありませんでした。

 

前九年の役の語呂合わせ②

人を(10)恋(51)しくなる前九年の役

 

関東の武士からすれば東北地方での戦いは遠いし寒いし過酷だったことでしょうね。

 

前九年の役の語呂合わせ③

人を(10)強引(51)に連れてった前九年の役

 

武士の中にも戦いが苦手な人はいたはずです?

 

前九年の役の語呂合わせ④

前九年の役は遠い(10)けど来い(51)

 

車も電車もない時代、戦地に行くまでに疲労困憊しそうです。

 

前九年の役の語呂合わせ⑤

人を(10)請い(51)て前九年の役

 

簡単に征伐するつもりが12年。戦費や兵士の調達も苦労したでしょうね。

 

 

以上、前九年の役の語呂合わせでした!

 

 

 

ちょっとした裏話

 

前九年の役・後三年の役という呼び名は後世につけられたものです。

前九年の役は12年間続いたのでもともと奥州十二年合戦と呼ばれていました。

ところが後三年の役が起きると同じ奥州の戦いということで二つの役を合わせたものを奥州十二年合戦と呼ぶようになりました。(誤解①)

十二年から後三年を引いて前九年。(誤解②)

*そもそも前九年の役だけで12年、後三年の役も鎮圧までに実質5年を要しています

算数では9+3=12ですが日本史では12+5=12という不思議な現象が起きているのですね。

 

 

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