第一次世界大戦後、ヨーロッパを中心にアメリカ大統領ウィルソンの提唱した「民族自決の原則」が各国に広がりました。
しかしアジア・アフリカ圏はこれに含まれず日本の支配下にあった朝鮮や中国では大きな失望と反発が生まれます。
今回は朝鮮と中国で相次いで起こった運動の一つ「三・一独立運動」についてその概要・年号の覚え方(語呂合わせ)をご紹介します。
三・一独立運動とは?
(3.1独立運動レリーフ 出典:Wikipedia)
三・一独立運動とは、1919年(大正8年)3月1日に朝鮮で起きた日本からの独立運動のことです。
1919年3月1日、朝鮮の京城で知識層や学生たちが日本からの独立を宣言しました。
これはパリで開かれていた第一次世界大戦の講和会議に向けてのアピールでもありました。
民族自決の原則に基づいて日本の植民地支配から抜け出そうとしたのです。
数千人の参加者たちは口々に「朝鮮独立万歳」を叫びました。(三・一独立運動のことを「万歳事件」とも呼びます)
朝鮮総督府は軍隊によって弾圧しましたが独立運動は全国へと拡大し、およそ2か月の間に死者は数千人、負傷者や逮捕者は数万人にものぼりました。
この三・一独立運動を契機に日本政府と朝鮮総督府はそれまでの「武断政治から文化政治へ」と統治の仕方を変更します。
しかし統治が以前よりは緩やかになったとはいえ朝鮮の人々が望んだ日本からの独立までにはこの先まだ25年あまりの時間を要したのでした。
現在でも3月1日は韓国の重要な祝日です。
【三・一独立運動の語呂合わせ】年号(1919年)の覚え方!
三・一独立運動の語呂合わせ①
一句(19)、行く(19)なら3月1日朝鮮へ
朝鮮は独立運動、中国は抗日運動、という風に区別しましょう。
三・一独立運動の語呂合わせ②
引く引く(1919)災(31)難、朝鮮独立運動
犠牲者や逮捕者の数の多さに運動や弾圧の激しさが表れていますね。
三・一独立運動の語呂合わせ③
逝く(19)逝く(19)さい(31)なら独立のため
犠牲になった多くの人が日本からの独立を夢見ていたはずです。
以上、三・一独立運動の語呂合わせでした!
チェック!!
朝鮮で三・一独立運動が起こった後、中国でも独立運動「五・四運動」が起こります。
三・一独立運動と混同しがちになりますので、以下のように覚えましょう!
「長さん、中腰」(ちょうさん、ちゅうごし)
朝(ちょう)三(さん)、中(ちゅう)五四(ごし)
朝鮮=三・一独立運動、中国=五・四運動