戦国時代に入り、各地の有力な戦国大名が争いを繰り返すなか、織田信長はいち早く最新式の装備を取り入れ、次々と戦国大名たちを服従させ、天下統一に限りなく近づきました。

 

そんな織田信長を自害に追いやった本能寺の変はあまりにも有名です。

 

今回はそんな1582年におきた『本能寺の変の覚え方』についてご紹介します。

 

本能寺の変とは?

(本能寺の変の錦絵 出典:Wikipedia)

 

 

本能寺の変とは、1582年に本能寺にて織田信長が家臣の明智光秀に襲われ、追い詰められ自害した事件のことです。

 

1582年当時、織田信長は長年の宿敵であり、病死した武田信玄の息子である武田勝頼・信勝親子を自害に追い詰め、武田氏の排除に成功しました。

 

また、東の国で信長に従わないのは上杉氏くらいで、他の戦国大名はみな、信長に対して恭順の意を見せていました。

 

一方で、西のほうでは、中国地方の毛利氏が信長に従わず、争いを繰り返していました。1852年の5月に備中高松城を攻めていた羽柴秀吉から援軍の要請を受けた織田信長は西国最大の大名である毛利氏を討つべく自らの出陣を決意し、その援軍の先陣を明智光秀に命じました。

 

自身は出陣の準備をしつつ安土城を家臣に託し、茶会開催のため京に上洛し、529日に京の定宿としていた本能寺にわずかの家来とともに入りました。185261日茶会が開催され、酒宴ののち信長は就寝しました。

 

そこへ中国攻めへ向かっているはずの明智光秀が謀反を起こし、本能寺を攻め、追い詰められた織田信長は天下統一へあと一歩のところで無念の切腹となり、その生涯を閉じました。

 

なお、その後継者とされていた嫡男の織田信忠も、宿泊していた妙覚寺から二条御所に退いて戦いましたが、追い詰められ自刃しました。

 

【本能寺の変の語呂合わせ】年号(1582年)の覚え方

本能寺の変の語呂合わせ①

本能寺の変以降(15)廃人(82)になった明智光秀

 

本能寺の変ののち、すぐに豊臣秀吉によって討たれた明智光秀は逃げ疲れて廃人のようになっていたでしょうね。

 

本能寺の変の語呂合わせ②

イチゴ(15)パンツ(82)の織田信長

 

信長のファッションセンスは奇抜だったといいますので、本当に履いていたかも⁉

 

本能寺の変の語呂合わせ③

本能寺の変以後(15)歯に(82)物が詰まった言い方の明智光秀

 

やはり裏切り者は、気まずい思いをしたでしょうね。

 

本能寺の変の語呂合わせ④

非行(15)で俳人(82)もびっくり本能寺の変

 

当時の人々はみな明智光秀の謀反に心底驚いたことでしょう。

 

本能寺の変の語呂合わせ⑤

明智一行(15)が犯人(82)の本能寺の変

 

本能寺の変では、犯人が明智光秀と聞き信長は「やむおえぬ」と一言いったと伝えられています。

 

本能寺の変の語呂合わせ⑥

十五夜に(1582)、おきてしまった

 

本能寺の変の語呂合わせ⑦

以後はに(1582)っこり、本能寺 

 

本能寺の変の語呂合わせ⑧

行こう(15)!奴(82)は信長だ

 

 

以上、本能寺の変の語呂合わせでした!

おすすめの記事