17世紀以降ヨーロッパ各国で起こった市民革命の先駆けはイギリスでした。

 

イギリスで起きたふたつの市民革命、ピューリタン革命と名誉革命はまとめて「イギリス革命」とも呼ばれています。

 

今回はイギリス革命のひとつ「名誉革命の概要・年号の覚え方(語呂合わせ)」についてご紹介します。

 

名誉革命とは?

(オランダに到着したウィリアム3世 出典:Wikipedia

 

 

名誉革命とは、1688年、国王の専制政治に反対して起きた市民革命です。

 

名誉革命の名誉とは混乱や流血もなく話し合いで政変(革命)が成功したことに対する誇らしい気持ちを表しています。

 

◆名誉革命の背景

当時のイギリスを治めていたのは王政復古で即位したチャールズ2世の弟、ジェームズ2世でした。

 

議会を尊重するという条件で王政復古を果たしたチャールズ2世でしたが、徐々に絶対王政へと移行し議会と対立をしていました。

 

続いて即位したジェームズ2世も兄同様に専制主義を行い議会との確執は深まるばかりでした。

 

しかし、ジェームズ2世には後継ぎがおらず1代限りということで議会も表立った対立は控えていました。

 

ところがジェームズ2世に後継ぎとなる男子が生まれたことで事態が動きます。

 

このままではまた専制主義が繰り返されてしまうと危惧した議会は王の追放を決議、直ちに実行に移します。(追放後、国王はフランスに亡命)

 

同時にオランダのウィリアム公夫妻をイギリス国王として招き即位させました。

 

◆名誉革命の結果

1689年、イギリス国王になるべく招いたウィリアム公夫妻に対して議会は「権利の宣言」を承認するように求めました。

 

「権利の宣言」の主たる内容は王が議会の承認を得ないで立法・行政・司法・課税を行ってはいけないというもので、王権に対する議会の優位を明確にしたものです。

 

ウィリアム公夫妻は権利の請願を承認、正式にウィリアム3世・メアリ2世として即位しました。

 

1689年12月、「権利の宣言」は「権利の章典」として法文化し制定されます

 

名誉革命の成功によって始まった「立憲君主制」は議会政治の基礎であり世界各国がこれを模範にしました。

*立憲君主制:国家の運営の基本は憲法であり君主の権限は制限される

 

イギリスの立憲君主制を表す有名な言葉に「王は君臨すれども統治せず」というものがありますが国王の地位がよくわかる言葉ですね。

 

【名誉革命の語呂合わせ】年号(1688年)の覚え方!

名誉革命の語呂合わせ①

立憲君主制のイロハは(1688)名誉革命から習おう

 

名誉革命により絶対君主制が倒され立憲君主制が始まりました。

 

名誉革命の語呂合わせ②

イギリスの人(1)論破は(688)成功、名誉革命

 

人の命が失われるのが当たり前の革命ですが話し合いだけで成功した名誉革命はつくづくすごいことです。

 

名誉革命の語呂合わせ③

広場は(1688)喜ぶ人であふれた名誉革命

 

イギリスのロンドンにある有名なトラファルガー広場。5万人もの人を収容できるそうですが名誉革命が成功した時には多くの人がここで喜び合ったのでは?

 

名誉革命の語呂合わせ④

ヒーロー(16)へパチパチ(88)拍手、名誉革命

 

名誉革命のヒーローとは特定の人ではなく革命を無血で成功させたイギリス国民ということでしょうか。

 

名誉革命の語呂合わせ⑤

立憲君主制へ一路(16)早(88)く終わった名誉革命

 

もう一つのイギリス革命であるピューリタン革命は1642年~1649年の4年がかり、対する名誉革命は1688年~1689年と1年足らずで終わりました。

 

 

以上、名誉革命の語呂合わせでした!

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