【島原の乱の語呂合わせ】年号(1637年)の覚え方を紹介!【おすすめ5選】

 

織田信長がキリスト教の布教を許可し、九州には多くのキリスト教を信仰するものが現れました。

 

しかし江戸幕府ではキリスト教を禁止し、厳しく取り締まったのです。

 

1637年、島原・天草ではキリシタンたちがキリシタン弾圧と苛政に耐え兼ね、島原の乱を起こしました。

 

今回はそんな島原の乱の概要・覚え方についてご紹介します。

 

島原の乱とは?

(原城包囲の図 出典:Wikipedia

 

 

島原の乱とは、1637年から1638年にかけて、肥前国島原で起こった島原・天草のキリシタン農民たちによる一揆のことです。

 

肥前国島原はもともとキリシタン大名の有馬晴信が肥後国天草はもともとキリシタン大名の小西行長が領主をしていて、キリシタンが多い土地でした。

 

しかし、江戸幕府によって島原には松倉氏が天草には寺沢氏が移封され、厳しいキリシタン弾圧を行い苛政を敷くようになりました。

 

1637年、松倉氏の圧政に耐えかねた島原の領民が蜂起し、それに寺沢氏の圧政に苦しんでいた天草の領民が加わり、総勢三万八千人にものぼる領民が原城に立てこもりました。

 

一揆軍は総大将として、小西行長の家臣の息子とも伝えられるカリスマ性を持った少年、天草四郎を担ぎ出しました。

 

 

(天草 四郎 出典:Wikipedia

 

 

幕府軍は反乱の報を聞き、十二万にもなる大軍を派遣しました。

 

天草四郎を総大将として一揆軍は徹底抗戦しましたが、幕府はオランダ船に海上から砲撃を加えてもらうなどして追い詰めました。

 

そして約半年で落城させられ、最後まで籠城したものは全員、幕府によって殺害されました。

 

その後、幕府は松倉氏と寺沢氏を処分し、2年後にはキリスト教国であるポルトガル人を追放することとなりました。

 

【島原の乱の語呂合わせ】年号(1637年)の覚え方

島原の乱の語呂合わせ①

異論(16)あってみんな(37)で蜂起、島原の乱

 

キリシタン弾圧と苛政では異論もでるでしょうね。

 

島原の乱の語呂合わせ②

天草四郎はヒーロー(16)、みんな(37)大好き

 

少年が総大将とは、天草四郎のカリスマ性がうかがえます。

 

島原の乱の語呂合わせ③

苛政の疲労(16)で南(37)の天草も、島原の乱

 

キリシタン弾圧だけでなく重税を課し、出来ない農民を虐めるなど、かなりの苛政だったそうです。

 

島原の乱の語呂合わせ④

島原の怒りを披露(16)三男(37)も一揆

 

それこそたくさんの人々が一揆に参加したので、たくさんの三男もいたことでしょう。

 

島原の乱の語呂合わせ⑤

ひい(1)!無残(63)な(7)戦い、島原の乱

 

皆殺しの結末が恐ろしさを物語っていますね。

 

 

以上、島原の乱の語呂合わせでした!

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