1920年代から30年代、農村では欠食児童や女性の身売りが目立つようになり日本の経済および国民生活は困窮の一途をたどります。
また国際的な流れである軍備縮小に関する条約に調印したことで政府と軍部の対立も深まっていきました。
今回はそのような背景のもとで起きた事件「五・一五事件」の概要・年号の覚え方をご紹介します。
目次
五・一五事件とは?
(五・一五事件 出典:Wikipedia)
五・一五事件とは、1932年(昭和7年)5月15日に海軍の青年将校らが中心となって起こしたクーデター事件のことです。
将校らは首相官邸、政友会本部、警視庁、日本銀行などを襲い、犬養毅首相が官邸にて射殺されました。
この時官邸内に踏み込んできた将校らに対して首相は「話せばわかる」と伝えましたが将校らは「問答無用」と返して首相を射殺した、という話が残されています。
このことは話し合いで進める議会政治の崩壊を示しているとして、事件を伝える新聞などでも大々的に取り上げられました。
事件を起こした将校らの処分は大変軽く最大でも禁固15年、ほとんどの将校は数年の禁固刑で釈放されています。
◆五・一五事件の結果
犬養毅首相が殺されたことで8年間続いていた政党政治はついに終わりの時を迎えます。
後任に選ばれた海軍大将・斎藤実(まこと)は軍部・政党・官僚・貴族院から閣僚を選ぶ「挙国一致内閣」を始めました。
【五・一五事件の語呂合わせ】年号(1932年)の覚え方!
五・一五事件の語呂合わせ①
戦に(1932)GO!(5)行こう!!(15)
クーデターとはすなわち命がけの戦いです。しかし人命を奪ってまで起こした五・一五事件で国民の生活は楽になったのでしょうか?
五・一五事件の語呂合わせ②
引き金を引く(19)惨事に(32)なった五・一五事件
いくら自分たちに志があったとしても「問答無用」で拳銃の引き金を引くなんて・・・。
五・一五事件の語呂合わせ③
ひどく(19)醜い(32)五・一五事件
起こした事件の大きさ、影響力を考えると将校らに与えられた罪は少し軽すぎる気がします。
以上、五・一五事件の語呂合わせでした!