【秩父事件の語呂合わせ】年号(1884年)の覚え方を紹介!【おすすめ5選】

 

1880年代、当時は政府の問題が非常に多く、国民中心で政治を進められる国会の開設を国民は強く望んでおり、各地で自由民権運動が活発に行われていました。

 

そんな自由民権運動の激化により、農民たちが武装蜂起し数千人規模の騒動となったのが1884年の秩父事件です。

 

今回はこの秩父事件の概要・年号の覚え方(語呂合わせ)についてご紹介します。

 

秩父事件とは? 

(秩父困民党無名戦士の墓 出典:Wikipedia)

 

 

秩父事件とは、1884年(明治17年)1031日から119日にかけて埼玉県秩父郡で起こった自由民権運動激化事件です。

 

養蚕や製糸を主業としていた秩父の農民たちは、当時の松形財政による不況により高利貸に借金せざるを得ない状況に陥り非常に苦しみ、政府や高利貸、役所に対し負債の延納や学校費節減の為の休校、村費や税金の減免などを請願しますがこれを拒否されます。

 

その為、秩父の指導者であった井上伝蔵らを幹部、田代栄助を総理とした困民党を結成。隣接する群馬や長野の自由党員とも連絡を取り合い、遂に武装蜂起事件を起こしました。

 

 

(田代栄助 出典:Wikipedia)

 

 

1031日に風布村が蜂起すると、112日には役所や警察、高利貸などを襲撃し秩父郡を支配します。

 

4日には一度警察、軍隊によって制圧され、本陣が解体させられましたが、その後も菊池貫平をリーダーとして100余名の部隊が逃走・転戦を行い、7日には信州の南佐久郡の農民たちを結集し高利貸を襲撃しました。

 

その後11月9日、再度警察・軍隊により解体させられ、事件は終結を迎えました。

 

10日間に渡ったこの秩父事件に参加した人は1万人を超えると言われており、裁判の結果処罰を受けた者は重罪296名(うち死刑7名)、軽罪448名、罰金2642名にのぼりました。

 

【秩父事件の語呂合わせ】年号(1884年)の覚え方!

秩父事件の語呂合わせ①

一派(18)の野心(84)で秩父事件

 

困民党が主となり武装蜂起事件を起こしました。

 

秩父事件の語呂合わせ②

困った人は(18)はよ(84)来い秩父事件

 

数千人の人間が蜂起したのはすごいですね。

 

秩父事件の語呂合わせ③

秩父事件でいや(18)な情報が発信(84)された

 

現代ならすぐさま大事件として拡散されますね。

 

秩父事件の語呂合わせ④

一夜(18)走(84)って秩父事件

 

解体させられても逃げてまた事件を起こしました。

 

秩父事件の語呂合わせ⑤

いやや!死(1884)なないで秩父事件

 

最終的に7名が死刑となりました。

 

 

以上、秩父事件の語呂合わせでした!

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