応仁の乱(1467年)あるいは明応の政変(1493年)のどちらを始まりとするかはともかく、足利幕府後期から戦乱が100年ほど続き、戦国時代と呼ばれてきました。
戦乱の世を終わらせる第一歩を踏み出したのは織田信長でしたが、全国統一の途中で死亡したあと、それを成し遂げたのが1590年、豊臣秀吉による全国統一でした。
これは、戦乱の世と徳川幕府260年の平和との転換点として重要です。
今回はそんな全国統一の概要・年号の語呂合わせをご紹介します。
目次
全国統一とは?
(豊臣秀吉 出典:Wikipedia)
1590年、豊臣秀吉は、停戦命令に違反して他領を侵略した小田原の北条氏政を滅ぼします。(小田原攻め)
そして、伊達政宗をはじめとする東北の大名たちが服属したこと(奥羽平定)によって全国統一は完成しました。
秀吉は歴史上もっとも有名な人物の1人で、皆さんもよくご存じでしょうが・・・
1582年、信長が明智光秀によって本能寺で殺害されたあと(本能寺の変)、秀吉が織田家の家臣を含めた有力大名の誰をどのような状況で下して天下を統一したのか、1590年までの経緯をざっと見ておくことが大切です。
秀吉は本能寺の変が起きたとき、中国地方の毛利氏と対戦中でしたが、すぐに和睦して軍勢を畿内に向け、山崎の合戦で光秀を滅ぼしました。
主君の仇を討ったことと、合戦後に信長の法要を営んだことで、信長の後継者の1人であることをアピールします。
1583年には信長の有力家臣であった柴田勝家を賤ヶ岳の戦いで破り、勝家に味方した信長の3男信孝を自刃させます。
石山本願寺跡に大阪城を築城し始めたのも、この年です。
その翌年の1584年、秀吉は小牧・長久手で、信長の2男である信雄を味方にした奥川家康と戦いましたが、秀吉は勝利することができず、結局、和睦しました。
これは、武家の棟梁としての征夷大将軍を諦めざるを得なかったことを意味し、以後は朝廷の権威を利用しながら全国統一へと向かいます。
1585年、関白となった秀吉は四国の平定を目指して長宗我部元親を破り、翌1586年には太政大臣に任命されて豊臣姓を与えられます。
この年に、全国に停戦を命じる惣無事令が実施されます。
これは大名同士、武士同士ばかりでなく、農民同士の争い、つまりあらゆる合戦や私闘を禁じるもので、戦国時代に終止符を打つ明確な一歩となりました。
この政策を背景にして、九州の大半を支配するようになっていた島津義久を1587年に降伏させ(九州平定)、上に書いたように東国も含めた秀吉の全国統一が完成します。
【全国統一の覚え方】年号(1590年)の語呂合わせ!
全国統一の語呂合わせ①
戦国(159)丸め(0)て、全国統一
昔から言われてきた定番の語呂合わせの1つですが、戦国時代を終わらせたことに注目して「せん(1)ご(5)く(9)まるめて(0)」全国統一と覚えましょう。
全国統一の語呂合わせ②
東国(159)丸め(0)て、全国統一
これも①と同様、昔から言われてきた定番の語呂合わせの1つですが、秀吉の全国統一の最後になったのは東国平定でしたので、このことに関わらせて「とう(1)ご(5)く(9)まるめて(0)」全国統一と覚えましょう。
全国統一の語呂合わせ③
全国統一、以後(15)は苦(9)、まる(0)でない平和の世
戦乱の世が終わって、平和が到来したことに関わらせて「い(1)ご(5)、く(9)まるで(0)」ないと覚えましょう。
全国統一の語呂合わせ④
人(1)、告れ(590)、平和な全国統一
誰もが安心して暮らせるような平和な時代になったことについて、当時の人々がどう思ったかを想像して「ひと(1)、こ(5)く(9)れ(0)」平和な全国統一と覚えましょう。
全国統一の語呂合わせ⑤
一国(159)まとまる(0)、全国統一
日本全体が統一された権力のもとにおかれるようになったことに関わらせて「いっ(1)こ(5)く(9)まとまる(0)」全国統一と覚えましょう。
以上、全国統一の語呂合わせでした!