天下統一を実現した豊臣秀吉は、次に明の征服を目標とし遠征軍を立ち上げました。
秀吉はまず明に従属する朝鮮に対し、日本への服属を強要しましたが朝鮮がこれを拒否したため、1592年に朝鮮への攻撃を決意。
明も巻き込んだこの戦いは16世紀最大規模の国際戦争となりました。
今回はそんな朝鮮出兵の概要・年号の覚え方(語呂合わせ)についてご紹介します。
目次
朝鮮出兵とは?
(九鬼大隅守舩柵之図 出典:Wikipedia)
朝鮮出兵とは、1592年に豊臣秀吉が遠征軍を朝鮮半島に差し向けたことから始まります。16世紀において世界最大規模であった日本軍と朝鮮・明の連合軍との戦いは、休戦・交渉を挟みながら約7年も続きました。
1592年に始まった戦いを「文禄の役」と言います。約15万8000人が朝鮮半島に出兵しました。文禄の役は1593年4月の停戦協定成立により休戦します。
停戦協定で豊臣秀吉は、勘合貿易の復活や朝鮮の割譲など7つの講和条件を出しましたが、明はそのうち1つしか受け入れませんでした。
(豊臣秀吉 出典:Wikipedia)
そして講和交渉の決裂により1597年に再開されたのが「慶長の役」です。慶長の役では約14万人が出兵しましたが、2つの戦いで明軍に包囲されるなど日本軍はかなり苦しい状況におかれることとなります。
翌1598年に豊臣秀吉が亡くなったことで、日本軍は朝鮮半島から撤退。停戦協定が結ばれ長い戦いは終結します。
日本のみならず、舞台となった朝鮮、そして朝鮮と共に戦った明、それぞれが大勢の死傷者を出し、更に経済にもダメージを受けました。
文禄の役、慶長の役を合わせて朝鮮出兵と言いますが、「朝鮮」という呼称の問題や、近年の日本と韓国の関係などもあり、教科書などでの記述には変動があります。
現在は2つの戦いを併せて「文禄・慶長の役」とされていることが多いです。
【朝鮮出兵の語呂合わせ】年号(1592年)の覚え方!
朝鮮出兵の語呂合わせ①
朝鮮出兵以降(15)それぞれの国(92)は大ダメージを受けた
死傷者や経済が苦しくなるなど大変な時代になりました
朝鮮出兵の語呂合わせ②
行こう(15)未知の国(92)へ朝鮮出兵
知らない土地での戦争はメンタル面も厳しかったでしょうね
朝鮮出兵の語呂合わせ③
朝鮮出兵以後(15)は給付(92)が少なかった
国も色々と大変ですし、当時は手厚い保障なんてありませんよね
朝鮮出兵の語呂合わせ④
朝鮮出兵の一行(15)はクジ(92)で決めよう
ハズレを引いたら出兵!なんて恐ろしいです
朝鮮出兵の語呂合わせ⑤
一個(15)の国(92)で戦う朝鮮出兵
朝鮮半島で日本軍と明・朝鮮連合軍が戦いました
以上、朝鮮出兵の語呂合わせでした!