【鎌倉幕府の歴代執権の覚え方】超簡単!語呂合わせを紹介【おすすめ3選】

 

鎌倉幕府を開いたのは源氏である源頼朝ですが本当の意味で長い間政治を支配していたのは北条氏でした。

 

今回は北条氏の歴史ともいえる「鎌倉幕府の歴代執権の概要&覚え方(語呂合わせ)」を紹介します。

 

鎌倉幕府の歴代執権をおさらいしよう!

(1代目の執権「北条時政」 出典:Wikipedia)

 

執権とは、将軍の補佐役や後見人といった意味なのですが、鎌倉幕府においては執権こそが実質的な支配者でした。

 

1192年に鎌倉幕府が開かれてから滅亡までのおよそ140年間、源氏が将軍でいられたのはわずか3代27年間、それに比べて北条氏が執権を務めていたのは鎌倉時代だけで16代130年間にも及びます。

 

いかに鎌倉幕府にとって執権の力が強かったかがわかりますね。

 

◆歴代の執権

鎌倉幕府の執権は16代ですがその中でも重要で覚えておくべき執権は7代です。

 

以下のリストでは名前の後ろに【】がついている人がその7代です。

 

時政

頼家を廃し実朝を将軍につけて自らは政所別当(執権)になる

 

義時

1221年承久の乱に勝利 執権の地位を確立させる

 

泰時

1225年連署、評定衆を新設し評定会議を始める。1232年武家の法典「御成敗式目51カ条」制定。執権政治を確立させる

 

④経時

 

時頼

皇族将軍を擁立。引付を設置し裁判の公正化と迅速化を図る。日本で初めての禅宗専門道場「建長寺」を鎌倉に創建する。

 

⑥長時

 

⑦政村

 

時宗

1274年文永の役・1281年弘安の役という2度の蒙古襲来を撃退する。禅宗様の代表的建築物「円覚寺」を創建

 

貞時

1285年霜月騒動に続く1293年平頼綱の乱を経て得宗専制政治を確立させる。1297年「永仁の徳政令」を発布したが幕府衰退を招く

 

⑩師時

 

⑪宗宣

 

⑫煕時(ひろとき)

 

⑬基時

 

高時

北条氏最後の得宗。1324年正中の変・1331年元弘の変で後醍醐天皇と争う。1333年東勝寺で自害し鎌倉幕府滅亡

 

⑮貞顕

 

⑯守時

 

【鎌倉幕府の歴代執権の覚え方】超簡単!重要7代の語呂合わせ 3

鎌倉幕府の歴代執権の語呂合わせ①

時に政子、 正義は泰より宗を定めたか?

 

→時(時政)に政子、 正義(義時)は泰(泰時)より(時頼)宗(時宗)を定め(貞時)たか?

 

政子とは北条時政の娘、尼将軍とも呼ばれる北条政子のことです。

 

鎌倉幕府の歴代執権の語呂合わせ②

まさにに疑心暗鬼になった時寄りたい佐田岬

 

→まさに(政時)に疑心(義時・泰時)暗鬼になった時寄り(時頼)たい佐田(貞時)岬

 

佐田岬とは四国の最も南にある岬です。絶景を眺めて嫌な気分を吹き飛ばしましょう。

 

鎌倉幕府の歴代執権の語呂合わせ③

時にヨシヤスよ、あの時より胸定めたか?

 

→時に(時政)ヨシヤス(義時・泰時)よ、あの時より(時頼)胸(時宗)定め(貞時)たか(高時)?

 

重要な7代の執権全部並べてみました。胸を定めるとは覚悟を決めるという意味の言葉です。北条氏の一強、完全世襲とはいえ執権になるには覚悟が必要だったはずです。

 

 

以上、鎌倉幕府の歴代執権の語呂合わせでした!

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