平安時代中期は、天皇の外戚である藤原氏が摂政、関白となって政務を執り行っていました。これを摂関政治といいます。

 

そして、朝廷の要職は藤原氏で占められ、藤原氏以外の者、また藤原氏であっても本家から遠い者はなかなか出世できませんでした。

 

院政は、こうした藤原氏中心の摂関政治を覆そうとして現れた政治形態です。

 

今回はそんな院政の概要や覚え方(語呂合わせ)についてご紹介します。

 

院政とは?

(白河天皇 出典:Wikipedia)

 

 

院政とは、天皇が次の天皇に位を譲り、上皇となったあとも政治の実権を握り、天皇に代わって政務を行う政治形態のことです。

 

白河天皇が8歳の堀川天皇に譲位して(1086年)上皇となり政務をとったときから、平家滅亡(1185年)までを院政時代と呼びます。

 

平安時代中期は藤原氏出身の母を持つ皇子が天皇になり、藤原氏が天皇の祖父として政治の実権を握りました。しかし、1068年に藤原氏の母を持たない後三条天皇が即位します。後三条天皇は藤原氏でなくとも能力のある人物であれば進んで登用しました。

 

後三条天皇は4年後の1072年に白河天皇に譲位し、1073年に亡くなりました。その後、白河天皇が上皇となってから院政が始まります。つまり天皇の祖父が政治を支配した摂関政治から、天皇の父が支配する院政へと移ったのです。

 

白河上皇は、天皇を頂点とした中央集権体制を支える官庁とは別に、上皇独自の役職を設けます。その上皇側の役職の一つに「北面の武士」があります。北面の武士は、上皇を警護したり行幸に付き従っていました。

 

天皇の警護をするのは「滝口の武士」です。北面の武士の中には、平正盛(たいらのまさもり、平清盛の祖父)がいました。正盛が白河上皇に気に入られたこともあり、平氏繁栄の礎となります。

 

北面の武士は代々の上皇に引き継がれ、上皇の武力はあがりました。また、鳥羽上皇の時代には「西面の武士(さいめんのぶし)」も置かれて、上皇の武力がますます増すとともに、武士が成り上がる基礎となります。

 

摂関政治からの脱却をはかった院政ですが、天皇と上皇が両立していました。そして、のちに上皇と天皇が対立する保元の乱、平治の乱という争いがおこることにもなります。

 

 

この乱では北面の武士、西面の武士であった武士たちも実戦で活躍し、武士の台頭につながりました。

 

【院政の覚え方】開始年号(1086年)の語呂合わせ

院政の語呂合わせ①

どうやろ(1086)う?白河の院政

 

白河上皇が始めた院政。どう始めていくのでしょうか。

 

院政の語呂合わせ②

院政でやっと止む(1086)のか藤原の時代

 

藤原氏による摂関政治は院政で終わっていくのでしょうか。

 

院政の語呂合わせ③

ずっと休む(1086)天皇、休めない上皇

 

天皇は即位しても実権はなくずっと休んでいるような状態でしょうか。でも上皇は仕事で忙しそうです。

 

院政の語呂合わせ④

言おうや(108)む(6)しろ(白河)上皇に

 

天皇に言わず、むしろ上皇に言った方が出世する可能性がありますよ。

 

院政の語呂合わせ⑤

ジョウロ(上皇)に入れて(10)水やろう(86)

 

ジョウロに水を入れて花を育てるように、上皇が政治の花を育てます。

 

 

以上、院政の語呂合わせでした!

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