豊臣秀吉の家臣である五奉行の顧問として、権力を持ったのが五大老と呼ばれる有力な大名です。

 

五大老は、秀吉の死後様々な動きをみせ、異なる運命をたどりました。

 

秀吉政権を支えるという目的をもった五大老とはどのような人物たちだったのか?秀吉の死後どのような運命をたどったのか?

 

今回はそんな五大老の概要・五大老の覚え方についてご紹介します。

 

五大老とは?

(五大老の花押 出典:Wikipedia

 

 

五大老とは、豊臣秀吉の政権での職名で、五奉行と呼ばれる秀吉の子飼いの大名の顧問役として任命されました。

 

五大老には、小早川隆景、前田利家、徳川家康、毛利輝元、宇喜多秀家、上杉景勝の六人がいました。

 

隆景の死後、五大老と呼ばれるようになりました。またこの五大老のなかで最も力を持つ家康は五大老筆頭とされていました。

 

秀吉存命中には豊臣家と徳川家の緩衝材として利家が活躍するなど、パワーバランスがとれた形になっていましたが、秀吉が朝鮮出兵のさなかの1598年に亡くなるとその後継をめぐって、五大老にも意見の相違が起こり、争いが起こるようになりました。

 

また、豊臣家が頼っていた隆景は秀吉の死の前年に、利家は秀吉の死の翌年に死去し、五大老のなかでも家康への権力の集中が著しくなりました。

 

そして1600年に秀吉の後継として秀吉の子供でまだ幼い秀頼を推す石田三成率いる西軍と家康を大将とする東軍で争った関ケ原の戦いが起こります。

 

 

五大老であった毛利輝元と宇喜多秀家、上杉景勝は西軍につき、東軍の勝利後、家康によって減封や島への配流、移封などの憂き目にあいました。

 

その後、家康は征夷大将軍に任命され、江戸幕府を開き、長期にわたる徳川家の繁栄を実現しました。

 

 

【五大老の覚え方】簡単!おすすめの語呂合わせ

五大老の語呂合わせ①

憂き目にあってもう小走りする

 

(徳川家康)

(前田利家)

(宇喜多秀家)

(毛利輝元)

(小早川隆景)

(上杉景勝)

 

家康を前に憂き目にあった人はたくさんいたことでしょう。

 

五大老の語呂合わせ②

早い川ではもうウキウキ

 

(小早川隆景)

(前田利家)

(徳川家康)

(上杉景勝)

(毛利輝元)

(宇喜多秀家)

 

早い流れの川を見るとなんだかウキウキすることありますよね。

 

五大老の語呂合わせ③

もうに入ろうと浮き輪の

 

(毛利輝元)

(徳川家康)

(前田利家)

(小早川隆景)

(宇喜多秀家)

(上杉景勝)

 

浮き輪で川に入るのを楽しみにしている様子がみてとれますね。

 

 

以上、五大老の語呂合わせでした!

おすすめの記事