【遣隋使派遣の語呂合わせ】年号(607年)の覚え方を紹介!【おすすめ5選】

 

西暦600年頃に先進的な技術や文化を持っていたのは隋、唐と呼ばれていた現在の中国でした。

 

当時の日本は「遣唐使」「遣隋使」と呼ばれる遣使団を607年から894年までの約300年間に23回も中国へ派遣し、若者たちは先進国である中国から多くのことを学んできます。

 

今回は607年の遣隋使派遣の概要・開始年号の覚え方(語呂合わせ)についてご紹介します。

 

遣隋使の派遣とは?

(隋の領域 出典:Wikipedia

 

 

遣隋使とは、推古天皇の時代に大和朝廷がに派遣した使節のことです。

 

5世紀に中国に遣使を派遣して以来、中国と日本の交流は途絶えていました。

 

しかし、その後聖徳太子が摂政となった7世紀に、朝廷は遣隋使の派遣によって隋(中国)との交流を再開します。

 

遣隋使は607年の第1回遣隋使から計3回派遣されました。

 

今も昔も大国である中国ですが、当時は非常に先進的な国であり、技術や文化が優れていたのです。

 

遣隋使派遣は隋の先進技術や文化を学ぶことも目的としていましたが、実は本来の目的は別にありました。

 

隋との国交は、当時まだ権威の弱い朝廷の影響力を維持する為に重要なものだったのです。

 

実は遣隋使は600年に一度派遣されているのですが、これは失敗に終わっています。

 

607年の遣隋使は、小野妹子が「日出ずる処の天子、書を日没する処の天子に致す。恙無しや、云々」という文から始まる国書を持って行き、隋の皇帝を非常に怒らせたことで有名です。

 

しかし、当時の隋は高句麗との戦争を控えており、日本を敵に回すことができなかった為、激怒させたものの国交を結ぶことができました。

 

608年、614年にも遣隋使が派遣されましたが、618年に隋は唐に滅ぼされます。

 

その後は630年から19回も遣唐使を派遣し、朝廷は唐からの先進技術や文化を長きに渡り取り入れました。

 

 

【遣隋使派遣の語呂合わせ】年号(607年)の覚え方!

遣隋使派遣の語呂合わせ①

無礼(60)な(7)手紙で遣隋使

 

隋の皇帝を激怒させた手紙は有名ですね。

 

遣隋使派遣の語呂合わせ②

遣隋使で無縁(60)の地(7)へ

 

言葉も文化も違う場所へ行くのは大変だったでしょう。

 

遣隋使派遣の語呂合わせ③

無論(60)仲(7)良し遣隋使

 

高句麗のおかげで無事国交が結べました。

 

遣隋使派遣の語呂合わせ④

遣隋使にろく(6)なお(0)土産もな(7)し

 

無礼な手紙くらいしか持って行かなかったのでしょうか?

 

遣隋使派遣の語呂合わせ⑤

ロマンな(607)らいっぱい遣隋使

 

航海は男のロマンですね。

 

 

以上、遣隋使派遣の語呂合わせでした!

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