飛鳥時代から平安時代のころ、中国は唐(618年~907年)が治めていました。
唐は朝鮮半島に兵を派遣して政治に介入することもあり、朝鮮半島の先にある日本にとっても大国・唐は脅威でした。
朝鮮半島の高句麗、新羅、百済といった国は、唐に使節を派遣。貢物を送ったりして唐との関係を調整していました。
そして、日本も唐に遣唐使という使節団を派遣して、外交を行っています。
今回はこの遣唐使派遣&廃止年号の覚え方(語呂合わせ)をご紹介します。
その前にまずは、遣唐使とはどのようなものだったのかおさらいしていきましょう!
目次
遣唐使派遣&廃止について
(復元された遣唐使船 出典:Wikipedia)
遣唐使は、630年から894年までの200余年の間(飛鳥時代~奈良時代~平安時代)、数年~数十年間隔で派遣されています。
合計20回の遣唐使派遣が計画されました。
※計画後に中止になったりしましたので、最低でも計12回の遣唐使が派遣されています
遣唐使の船は遭難することも多く、旅路はとても危険なものでした。
それでも、遣唐使が派遣された目的は・・・
✔ 大国・唐に貢物つきであいさつし、日本を認めてもらうご機嫌伺い(朝貢)と情報収集
✔ 唐のすぐれた政治制度、文化などを見分し、日本に取り入れる。場合によっては唐の知識人を日本に連れて帰る
というものでした。
それでは、遣唐使にまつわる主な事柄と、有名な人物についてまとめます。
630年: 第1回遣唐使として犬上御田鋤(いぬがみのみたすき)が派遣
665年:日本が唐に大敗した白村江の戦い(663年)以降、はじめての遣唐使派遣
717年:第8回遣唐使として阿倍仲麻呂、吉備真備らが派遣
753年:5度の渡航失敗をへて、鑑真(がんじん)が遣唐使帰国とともに来日
755年~ 763年:唐で「安史の乱」という内乱がおこる。遣唐使中止
804年:第17回遣唐使として空海、最澄らが遣唐使として派遣
894年:菅原道真の建議により、遣唐使廃止
「安史の乱」という内乱で、唐は乱れて、衰退していきました。
そんな中、学問の神様で有名な菅原道真は第20回遣唐使に任命されます。
道真は危険をおかしてまで、衰退した唐から学ぶものはないのではという建議を提出。これが認められ、894年遣唐使派遣は廃止されました。
遣唐使が廃止されてからは、「国風文化」といって日本独自の文化が栄えます。
【遣唐使派遣&廃止の語呂合わせ】年号(630・894年)の覚え方
遣唐使派遣&廃止の語呂合わせ①
いろいろ蒸され(630)て遣唐使派遣。白紙(894)に戻そう遣唐使
定番の語呂合わせ。いろいろな事情がほどよくむらされて遣唐使派遣になりました。でも菅原道真の提案で白紙にもどりました。
遣唐使派遣&廃止の語呂合わせ②
もろく(6)にみれ(30)ない唐の国。船で吐くよ(894)遣唐使
遣唐使船は遭難などでたどり着けないことも多かったようです。揺れる船ではみんな吐いていたんじゃないでしょうか。
遣唐使派遣&廃止の語呂合わせ③
ム(6)、日本で見れ(30)ない唐のもの。や(8)っと苦心(94)だ遣唐使
日本ではお目にかかれない品物や文化が唐にはたくさんあったでしょう。それらを持ち帰ってしまったらもう遣唐使はいりません。
遣唐使派遣&廃止の語呂合わせ④
無(6)意味(3)じゃ行かれ(0)ない遣唐使、や(8)めても苦(9)労し(4)ないよ遣唐使
危険をおかして唐にいくのは、重大な任務があったからです。唐が衰退してしまってからは、遣唐使をやめても日本はさほど苦労せずにやっていけます。
遣唐使派遣&廃止の語呂合わせ⑤
夢(6)中で見れ(30)たよ唐文化。遣唐使、白紙(894)になって国風の「みちさ」
遣唐使が派遣されていたことは、唐文化にみんな夢中になっていたことでしょう。遣唐使が廃止されて、国風文化がさかえていきます。「みちさ」で廃止は菅原道真であることを想起させます。
以上、遣唐使派遣&廃止の語呂合わせでした!