5世紀前半頃の日本は、国家体制がまだ固まっていませんでした。
大豪族が天皇家よりも大きな権勢を誇って、政治を動かすこともありました。
これでは、権力をめぐる争いがおこり、国家は不安定・・・。そこで、のちに大化の改新と呼ばれる改革で、安定的な中央集権体制樹立を目指します。
今回はそんな『大化の改新の覚え方』をご紹介します。
まずその前に大化の改新とはどんな出来事だったのか、おさらいしましょう!
目次
大化の改新とは?
(乙巳の変 出典:Wikipedia)
5世紀前半頃、遣隋(唐)使によって中国の皇帝を中心とした政治体制が広く知られ、日本でも天皇を中心とした中央集権体制を目指していました。
しかし、厨戸皇子(うまやどのおうじ=聖徳太子)の死後、大臣だった蘇我蝦夷(そがのえみし)は、厨戸皇子の息子である山背大兄皇子(やましろのおおえのおうじ)を攻め滅ぼし、蝦夷の息子・蘇我入鹿(そがのいるか)と政治の実権を握りました。
蘇我氏の横暴をみかねた天皇家の中大兄皇子(なかのおおえのおうじ)と一豪族の中臣鎌足(なかとみのかまたり)が中心となり、蘇我入鹿を誅殺します。
蘇我蝦夷は自害し、蘇我氏は滅びました。
645年におこったこの事件を「乙巳の変(いっしのへん)」といいます。
「乙巳の変」の翌年、646年に「改新の詔(かいしんのみことのり)」が出され、天皇を中心とした中央集権体制の構築を目指します。
「改新の詔」は大きく4つに分かれます。
改新の詔
①公地公民の制(こうちこうみんのせい)
天皇家を長とする中央政府が民や土地を管理・支配する体制
②班田収授法(はんでんしゅうじゅほう)
戸籍に基づき、収穫から税を徴収して国の財政とする制度。
③租庸調制(そようちょうせい)
国税、地方税にあたる制度。下のように区別されます。
租[田から徴収される税。おもに地方税の財源]
庸[労役もしくは代用として米や布を納める税。おもに人件費と公共事業の財源]
調[布や地方特産品を納める税。おもに役人給与の財源]
④国郡里制(こくぐんりせい)
日本を66の行政区に分け、地方は国・郡・里に編成。国と郡に役所がおかれ、人民統制と税の徴収を行いました。
645年「乙巳の変」→646年「改新の詔」におこった一連の動きを「大化の改新」といいます。
こうして天皇を長とした中央政府による集権体制づくりがスタートしました。
【大化の改新の覚え方】年号(645年)の語呂合わせ
大化の改新の語呂合わせ①
無事(64)よ、こ(5)の世は、大化の改新
大化の改新の語呂合わせ②
虫殺(645)しの大化の改新
大化の改新の語呂合わせ③
蒸しご飯(645)を食べる途中で大化の改新
大化の改新の語呂合わせ④
虫(64)が五(5)匹飛んでいる、大化の改新
大化の改新の語呂合わせ⑤
無事故(645)に終わる大化の改新
もっと詳しく!出来事と年号を覚えたい方は以下の語呂合わせがおすすめです!
大化の改新の語呂合わせ⑥
蘇我滅び、国を食うムシい(645)なくなり、むしろ(646)これから改新の詔
国家を思うままに操っていた蘇我氏が滅んで、国を蝕むムシがいなくなり、これから改新の詔で政治体制の改革がはじまりますよという意味になります。
大化の改新の語呂合わせ⑦
無事故(645)で終わった大化の改新、むしろ(646)大変な改新の詔
中大兄皇子側にはあまり被害がなく蘇我氏を滅ぼしましたが、そのあとの改革の方が大変というのを表します。
大化の改新の語呂合わせ⑧
天皇無視(64)した蘇我い(5)なくなり、無心(64)ですすむ(6)中央集権
天皇家より権勢を誇った蘇我氏はいなくなり、中央集権体制を無心で進めていこうという改革がスタートします。
大化の改新の語呂合わせ⑨
ろく(6)な死後(45)ない蘇我一族、ろく(6)に寝れないまっしろ(46)な改革
横暴な蘇我氏の死後はろくなものじゃないでですね。でも、残った中大兄たちもまっしろな改革案とにらめっこしてろくに寝れない日々を送ったのではないでしょうか。
大化の改新の語呂合わせ⑩
みんなを無視(64)してこ(5)ろされた蘇我氏、針のムシロ(646)、改革の中大兄
蘇我氏は独裁政治で他のみんなを無視して殺されましたが、これから針のムシロばりに大変な改革が中大兄たちには待っていますよというのを表します。
以上、大化の改新の語呂合わせでした!