【ワールシュタットの戦いの語呂合わせ】年号(1241年)の覚え方を紹介!【おすすめ5選】

 

13世紀の前半にモンゴル帝国のオゴタイ=ハンは金を打ち負かし、領土を広げました。

 

さらに甥のバトゥに命じ、ヨーロッパ中部まで進出します。

 

ドイツ・ポーランドの連合軍に勝利したといわれている「ワールシュタットの戦い」です。

 

今回はこのワールシュタットの戦いの概要・年号の覚え方(語呂合わせ)についてご紹介します。

 

ワールシュタットの戦いとは?

(ワールシュタットの戦い 出典:Wikipedia)

 

 

ワールシュタットの戦いとは、1241年に起こったモンゴル帝国とドイツ・ポーランド軍の戦争のことです。

 

レグニツァの戦いとも呼ばれているワールシュタットの戦いのきっかけは、1235年にさかのぼることができます。

 

この年、モンゴル帝国の最高意志決定機関であるクリルタイでは、方々の国へ遠征することが決定。そして、チンギス・カンの子孫の一人ジョチ家の当主バトゥは、西方遠征軍を率いてルーシ諸国を制覇しました。

 

1241年に入ってからはサンドミェシュを陥落させ、フミェルニクの戦いではポーランド軍に多くの死傷者が出ました。そして、この情勢を受けて、シロンスク公・ヘンリク2世がボヘミアから援軍などを集めます。

 

これらの情報を伝えられたモンゴル軍は、攻撃目標をドイツ・ポーランド連合軍に切り替えます。

 

ドイツ・ポーランド連合軍の中心として指揮を取ったのはヘンリク2世で、その中にはドイツ騎士団・ホスピタル騎士団・テンプル騎士団と民兵や戦争のために集められた歩兵がいました。

 

一方、モンゴル軍兵士の前線には接近戦の得意な軽装騎兵、後方には騎馬攻撃のための重装騎兵が配置されました。

 

 

(左がモンゴル軍、右がポーランド連合軍 出典:Wikipedia)

 

 

モンゴル軍は巧妙な戦術でヴロツワフに攻め入り壊滅させ、その後もトランシルヴァニア軍・ハンガリー軍などを打ち倒しました。

 

この戦いの結果、ドイツ・ポーランド軍の総司令官のヘンリク2世は戦死、ヘンリク2世に支えていたシロンスク・ピャスト家は公領がいくつかに分けられポーランドの統一が遠のく事態となりました。

 

さらにモンゴル軍は進行しオーストリアに近づきますが、皇帝オゴタイ=ハンの急死により前線から退くことになりました。

 

【ワールシュタットの戦いの語呂合わせ】年号(1241年)の覚え方!

ワールシュタットの戦いの語呂合わせ①

世界一強い(1241)モンゴル軍

 

戦った相手にとっては最強に思えたでしょう。

 

ワールシュタットの戦いの語呂合わせ②

モンゴル帝国の強い軍は、いつ用意(1241)したのかな

 

事前の準備は大切です。

 

ワールシュタットの戦いの語呂合わせ③

悲痛(12)な気持ちでヘンリク2世も酔い(41)たい

 

情勢が不利になった時の指揮官は大変です。

 

ワールシュタットの戦いの語呂合わせ④

いちに(12)ちの費用はモンゴル軍の自費(41)

 

戦の費用は誰が出しているのでしょうか。

 

ワールシュタットの戦いの語呂合わせ⑤

ドイツ(12)にとっても容易(41)ではない

 

援軍でやって来たドイツ軍も苦労したことでしょう。

 

 

以上、ワールシュタットの戦いの語呂合わせでした!

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