平安時代には三代集と呼ばれる和歌の勅撰集が作られました。

 

今回は三代集のひとつ、後撰和歌集に関わった「梨壺(なしつぼ)の五人の概要・覚え方(語呂合わせ)」についてご紹介します。

 

梨壺の五人とは?

(後撰和歌集 巻十二 出典:Wikipedia

 

 

梨壺の五人とは、後撰和歌集に載せる和歌を選ぶ作業をした5人のことです。

 

5人という人数は古今和歌集の撰者が5人だったことに合わせたのではないかと考えられています。

 

951年、村上天皇は万葉集の訓釈(読解)と後撰和歌集の編纂を行うよう勅命を出しました。

 

 

(村上天皇 出典:Wikipedia)

 

 

このため和歌を選んだりする撰和歌所が初めて御所内に設けられました。

 

撰和歌所の中庭には梨の木が植えられていたので、そこで作業をした5人を「梨壺の五人」と呼ぶようになりました。

 

撰和歌所の別当(長官)には藤原伊尹(ふじわらこれただ・これまさ、とも読む)が着任し、伊尹のもとに5人の寄人が集められました。

 

この5人の寄人が「梨壺の五人」です。

 

(*寄人とは現在の職員に近い言葉です。和歌の選定をする寄人は「召人(めしうど)」とも呼ばれました)

 

◆梨壺の五人

「梨壺の五人」は次の通りです。

 

大中臣能宣(おおなかとみのよしのぶ)

清原元輔(きよはらのもとすけ):三十六歌・仙清原深養父(ふかやぶ)の孫、清少納言の父

源順(みなもとのしたごう)

紀時文(きのときぶみ):三十六歌仙・紀貫之の子

坂上望城(さかのうえのもちき):三十六歌仙・坂上是則の子

 

梨壺の五人は歌人として全員が優れていたから選ばれたわけではない、と伝わっています。

 

特に三十六歌仙を父に持つ紀時文と坂上望城は親の七光りやコネで選ばれたのではないか?と揶揄する声が多かったとも伝わっています。

 

しかし、彼らの働きがあったからこそ全20巻、1400首余りの「後撰和歌集」が完成しました。

 

しかも万葉集の4500首余りのうちの4000首近くの漢字に訓読をつけたのも梨壺の五人の功績とされています。

 

【梨壺の五人の覚え方】超簡単!おすすめ語呂合わせ 3選

梨壺の五人の語呂合わせ①

清原の起源は大阪

 

→清原の(清原)起源(紀・源)は大阪(大中臣・坂上)

 

昭和世代の高校野球ファンにとっては大阪代表といえば清原です。

 

梨壺の五人の語呂合わせ②

大阪選手の起源は清い原っぱでのテニス

 

→大阪(大中臣・坂上)選手の起源(紀・源)は清い原っぱ(清原)でのテニス

 

野球の次はテニスで語呂合わせ、大阪選手も小さい頃はコートではなく原っぱでテニスを楽しんだのでは?

 

梨壺の五人の語呂合わせ③

大阪はいつも元気で清い町

 

→大阪(大中臣・坂上)はいつも元気(源・紀)で清い(清原)町

 

なにやら選挙のスローガンのようですが。。。

 

 

以上、梨壺の五人の語呂合わせでした!

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さいごに
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