18世紀末から19世紀初頭はヨーロッパの激動期でした。

 

フランス革命から始まったいくつもの政治的事件のあと、ナポレオンにひきいられたフランスがヨーロッパ諸国のほとんどを征服したのです。

 

こうしたヨーロッパの激動が日本にまで波及した象徴的な事件がフェートン号事件です。

 

この事件は、日本の歴史を世界史との関わりで考えさせる重要な事項ですので、概要と年号をしっかり学習しておきましょう。

 

フェートン号事件とは?

(フェートン号 出典:Wikipedia)

 

 

フェートン号事件とは、1808年、オランダ船を偽装して長崎に入港したイギリス軍艦フェートン号が、長崎奉行所の通訳とともに出迎えに出たオランダ商館員2名を人質にとり、薪水・食料などを要求した事件です。

 

フェートン号は、オランダ商館員を船に連行すると同時に、それまで掲げていたオランダ国旗をイギリス国旗に変え、大砲を備えたボートで長崎港内を行ったり来たりして威圧しました。

 

長崎奉行の松平康英はオランダ商館長の勧告にしたがって、ひとまずは戦闘を避けることにしましたが、長崎警備担当の鍋島藩と福岡藩にフェートン号攻撃の準備を命じました。

 

 

FirstJapaneseMission1862.JPG

(文久遣欧使節「一番左が松平康英」 出典:Wikipedia)

 

 

しかし、鍋島藩は警備用兵力の定員を大幅に欠いているうえに、オランダ人を人質をとられていることから、松平康英はフェートン号艦長の要求に屈し、オランダ商館員の釈放と引換えに水や食料を引渡しました。

 

では、どうしてフェートン号はこのような行動に出たのでしょうか。

 

それは、ナポレオンのフランスが、イギリスを除くヨーロッパを支配していた状況に基づいています。

 

当時、江戸幕府がヨーロッパ諸国のなかで唯一の交易相手としていたオランダも、フランスによる征服の例外ではありませんでした。

 

このとき、ナポレオンに敵対するイギリスは、フランス側となったオランダの植民地を攻略しはじめていましたが、ジャカルタを拠点とするアジアのオランダ領はそのまま残されていました。

 

アジアの制海権を手にしたイギリスは、これらも占領することにしました。

 

つまり、イギリスのアジア進出政策の一環としてフェートン号事件が起きたのです。

 

フェートン号事件は、結果だけ見るとオランダ商館員も無事でしたし、イギリスとの戦争にならずに済みました。

 

ですが、多くの影響を残しました。

 

長崎奉行松平康英は事件の責任をとって切腹し、警備兵の数を無断で減らしていた鍋島藩では家老はじめ数人が切腹し、その後、藩主も100日間の閉門を命じられました。

 

さらにこの事件以降、イギリス船の日本沿岸への来航が増加して、幕府は、1825年、無二念打払令(異国船打払令)を出すことになります。

 

【フェートン号事件の覚え方】年号(1808年)の語呂合わせ

フェートン号事件の語呂合わせ①

違反を(180)や(8)めろフェートン号

 

昔から言われてきた定番の語呂合わせの1つですが、オランダ船と偽って長崎に入港したうえに、人質までとったやり方に注目して「い(1)はん(8)を(0)やめろ(8)」と覚えましょう。

 

フェートン号事件の語呂合わせ②

要求は嫌(18)も応は(08)無し、フェートン号

 

オランダ商館員を人質にとっただけでなく、武力でも威圧したフェートン号の行動に関わらせて「い(1)やも(8)おう(0)は(8)」無しのと覚えましょう。

 

フェートン号事件の語呂合わせ③

人は(18)追わ(08)れる、フェートン号事件

 

これも①と同じく、昔から言われてきた定番の語呂合わせの1つですが、長崎奉行所やオランダ商館だけでなく、警護のために九州諸藩の武士が動員されるなど、多くの人が事件処理に関わったことに注目して「ひと(1)は(8)お(0)われる(8)」と覚えましょう。

 

フェートン号事件の語呂合わせ④

脅される「いわれは(1808)」無いフェートン号事件

 

フェートン号の武力を背景とした強要に注目して、脅される「い(1)わ(8)れ(0)は(8)」無いと覚えましょう。

 

フェートン号事件の語呂合わせ⑤

鎖国の「巌は(1808)」固いフェートン号事件

 

結果としては鎖国政策を見直すことにつながるのですが、このときは厳しい鎖国の状態が維持されていたので、「い(1)わ(8)お(0)は(8)」固いと覚えましょう。

 

 

以上、フェートン号事件の語呂合わせでした!

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