前九年の役から20年あまり、奥州に再び戦火が降り、後三年の役が始まります。
この戦いでは前九年の役とは大きく背景が異なります。
今回はこの「後三年の役の概要・年号の覚え方(語呂合わせ)」についてご紹介します。
目次
後三年の役とは?
(後三年の役 出典:Wikipedia)
後三年の役とは、1083年に起こった清原氏の内紛を源義家が平定するまでの戦いのことです。
前九年の役により奥州での清原氏の支配権は絶大なものとなりました。
しかし1083年、清原真衡が跡を継ぐと異母弟の家衡と母方の連れ子の清衡との間に家督争いが生じます。(真衡VS家衡・清衡)
そこで真衡は当時の陸奥守だった源義家に助けを求めました。(義家・真衡VS家衡・清衡)
義家の仲介により領土は等しく分割することになり一度は収まりかけた争いでしたが直後に真衡が亡くなってしまいます。
すると領土分割に不満を持つ家衡と義家・清衡側との間で再び激しい戦いが繰り広げられることになりました。(義家・清衡VS家衡)
戦いは陰惨を極め女性や子供、老人に至るまで多くの人々が犠牲になったといいます。
1087年、戦いは義家と清衡の勝利に終わりようやく奥州に平和が訪れます。
この後に清衡は父方の姓である藤原を名乗り3代にわたり栄華を極めた奥州藤原氏が誕生しました。
【後三年の役の語呂合わせ】年号(1083年)の覚え方!
後三年の役の語呂合わせ①
人を(10)闇(83)討ちにした後三年の役
家族間の争いほど手に負えないものはないといいますから・・・。
後三年の役の語呂合わせ②
後三年の役でとうとう(10)破産(83)した源義家
頼まれて助けたのに破産するって現代にも似た話がありそうです。
後三年の役の語呂合わせ③
後三年の役の卒塔婆(108)見よ(3)
軍記「奥州後三年記」は内容があまりに悲惨すぎるといわれています。
後三年の役の語呂合わせ④
いちいち(1)オバサン(083)が口をはさんで後三年の役
親族内で圧倒的に力があるのはいつの世もオバサンです。
後三年の役の語呂合わせ⑤
人を(10)はさんで(83)後三年の役
人を間にはさむと話がこじれることってありがちですよね。はさまれた源義家さんもご苦労様でした。
以上、後三年の役の語呂合わせでした!
前九年の役と後三年の役との違いを確認しておこう!
前九年の役は朝廷に対する安部氏の反乱であり鎮圧のために源頼義や義家が朝廷から派遣されたいわば朝廷公認の戦いでした。
しかし、後三年の役は内紛を起こした清原氏と朝廷の関係が極めて良好であったために朝廷からは源義家が勝手に介入した朝廷非公認の戦いとみなされました。
義家に東北地方の支配権を得るという野心があったことは間違いありませんが、結局戦いに勝利しても恩賞ももらえず昇進もできず陸奥守の職も解任されました。
そればかりか戦争中に納税が滞ったのも義家の責任として莫大な負債を抱えることになります。
しかし、義家は戦いに参加した武士に対して自費で恩賞を与え、強固な主従関係を築き東国での源氏の勢力は増していきました。
朝廷VS地方勢力の戦いであった前九年の役と地方勢力の内紛であった後三年の役、どちらにも関わった源義家ですが戦いに至る背景はずいぶんと違うものでした。